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sosoの素(82)

下心にはご用心 後編

インターネットが普及して、スマートフォンを多くの人が持つようになってから小ずるく自分だけが良ければあとは知らないみたいなことがより簡単に知れたり出来るようになってしまった。(ゲーム機の転売とかもそう)
それをずるい、卑怯だなど非難する声も目にするけど、できればそんな言葉にも僕は触れたくない。
簡単に自分だけが得をしようとする人は得したものと引き換えに自分が損をしていないかと疑念を抱えるし、それと共にもっともっと得をしたいとエスカレートして行く。ほっとけば自滅するんじゃないかと思っている。

何の努力もせず、失敗や苦悩を経験せずに簡単にいい思いができるほど世の中は簡単じゃない。
人生を賭けた努力や勝負をしてもうまくいかないことだって本当に多いんだから。
頑張ってる人はそれを見せないようにしているだけ。

人生は長いようで短い。
あっという間に僕もおじさんだし、きっと気づいたらおじいちゃんになってるよね。
それでいて人生は短いようで長い。
毎日毎日同じような日々の繰り返し。自分のことより周りの世話をするだけで1日は終わる。ああ、明日もやらなきゃなってね。
少し前にイチローさんが主催の少年野球の大会締めくくりの挨拶で「人の2倍も練習できるわけがない、だけど人より少しだけ努力することはできる。その積み重ねが大きな差になっていく」というようなことを言われていた。
僕も毎日を楽しく穏やかに過ごして行くことを一生懸命試みている。少しの
モヤモヤやイライラという雑草を丁寧に抜きながらそよ風のふく気持ちのよい草花畑にするように。

下心は結局自分に都合の良いことが起きて欲しいという打算的で軽率な発想なんだと思うのです。スタートがそこだとどれだけ緻密に計画をしたとしても少しでもズレが生じた時に修正するための原点回帰の場所がなく場当たり的な対応になるし、スタートが自分の都合の良いことが起きて欲しいってことだから客観性が乏しく修正も自分都合の修正になり、また同じズレが生まれてくるんじゃないだろうか。なんてったって自営業をしたての僕はそうだった。

やりたいこと好きなことがスタートならそれを具現化するためにどうするかを考える。ズレが生じた時にそのズレが実は想定していたことよりも良いことだってあったりする。それを上手く活かせるのも自分のやりたいことを素直にやってるからこそできるんだとこの頃は思うのです。

下心でやってると土壌が育ってない荒地なのに苗を植えては雑草に負けて枯れて、植えては枯れる繰り返し。初めは少し大きくなっただけでも嬉しいけど雑草を抜くのは面倒だからやりたくないし、そうするとやっぱり枯れるから精神的にダメージが来て辛くなる。そうならないために手っ取り早く肥料や土壌改良、除草剤などをコストを掛けてやっていくと苗は育つかもしれないけどそこには自分らしさがない、意図的に作られた世界になってしまいこんなことをやりたかった訳じゃないのにと思ってもコストを掛けてるから後戻りができない。納得はできてないけどこれで良しとするしかないなと自分に言い聞かせる。

下心を持たずに好きなことをするというのは好きなことができたー!楽しかった!と思えたことが一番のご褒美。売り上げは二の次。
それでも何かを始めたての時は売り上げという可視化された結果が欲しくて欲しくてたまらない。僕も上手くいかない時ほどそんなことを思っていた。そして売り上げだけが上がった時に楽しさを感じず自分がお金を作る機械になったような気がして虚しかった。
そこからもがき苦しみながら好きなことをするということだけに特化すると売り上げはすぐにはやってこないけど毎日の充実感と気持ち良さは続き、遅れて売り上げが生まれてくる。
自分いう土壌をこまめに綺麗に整えていくだけで自然とその土壌にあった美しい花が勝手に咲くように。その世界は唯一無二なのです。

中学生男子がモテたいがために始めたギターもやり出すと楽しくなってのめり込むことも多い。それは青春期の純度の高い下心だったかもしれないし、気がついたら下心からやりたいことに移行したのかもしれない。
大人の下心はそんな純度はもうなくてヘドロのような見るも無残なものなんじゃなかろうか。
自分の心に蓋をせず、下心に蓋ができるといいのかもね。


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