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sosoの素(65)

元気ハツラツ

疲れたーと夕方くらいになると決まり文句のように言っている。
朝から色々頑張って夕方にはもうくたくたなのです、大人は。

前にも書いたけど、3年前くらいに僕はひねったりしたわけでもないのに手首をひどく痛めていた。仕事を頑張って体のメンテナンスを怠って使いっぱなしてたツケが出てのこと。それから身体と心のことを強く意識して考えたり感じたりして、自分なりメンテナンスと体操などをして身体の不調があまりない。
それでも半年以上ずっと忙しかったから疲れは溜まっていて、忙しさがすぎた後も伸びきったゴムのようになり、以前のようなリズムに戻らなかった。そしてとても疲れていた。

自営業同士の決まり文句で「最近忙しい?」とよく聞き合う。
そこには深い意味も目的もなくて会話のきっかけでしかないんだけど、「忙しい?」と聞かれると暇であっても暇だよなんていうのも何か違う気がするから「ぼちぼち忙しい」か「忙しい」が決まった返事になってしまってる。

先日、子供達が運動会の代休で金曜日が休みになり遊園地に行った。平日で人もとても少なく乗り物に乗りたい放題。1日遊んだ。次の日は子供のサッカー教室をみて、日曜日は下の子とJ3の試合を見にいった。
三連休空いた時間に仕事もしたけれど、休日らしい休日だった。

日曜日の夕方、サッカー観戦をして帰ってきた後、無意識に「疲れた」と言葉を発していた自分に気がついた。でもその日は朝から多少の仕事はしたけどあとは芝生でゆったりとサッカー観戦しただけで、何もしていない。その前の日もその前も休日同様の過ごし方をしていた。なのにたくさん作業したかのような口ぶりで自然と口から「疲れた」と言ってる自分に驚き、疑問が出てきた。
身体の調子がいい今、疲れてると自分で思い込んでいるだけじゃないか?と。

次の日、仕事をしながら身体の疲れだけを感じてみようと思い、作業しながら自分が今疲れてるかを観察していた。するとそこそこの作業をしていても対して疲れていない。そのまま仕事を終えて帰宅しても「疲れた」との言葉も出て来ず、はつらつとした気分で体調不良気味のゆきちゃんに変わって洗い物も手伝えた。
その次の日もその次の日も同じで、そして僕の中で過酷な作業の一つのフライパン制作を2日続けて行い、身体はさすがに重くなったり疲れは溜まったけど心は本当に軽やかで充実感で満たされていた。

身体(手首)を痛めてから作業が億劫な時期が続き、自分にとって新たな案件やチャレンジのような仕事をする中で精神的に負荷も多く、肉体的な疲れと精神的な疲れが共にパンパンになり、慢性疲労感とでも呼べるような状態で不調が通常だと思い込んでいた。そして自分で自分のことをことあるごとに「疲れた」と確認して自分は頑張ってるんだと安心させていたのかもしれない。きっと僕だけじゃなくて多くの子育て世代の人が同じような状況なんじゃないかとも思った。

肉体的な疲れは上手にメンテナンスしていくと年齢問わず必ず徐々によくなっていく。
精神的な疲れも本来なら気分転換などで解消されるはずではあるけど、あれもしなきゃこれもしなきゃと思ってるうちに何かに追われた感覚になり、疲労が溜まり、身体にも気だるさとして影響を及ぼしてくる。そしてその気だるさを身体は肉体的な疲労感として受け取り、萎縮して動きが悪くなり余計に肉体的な疲労が溜まってまた精神的な疲労も溜まっていく負のスパイラスになっていく。

肉体的な疲労と精神的な疲労が混ざってヘドロのような疲労が身体にあってはもう一踏ん張りができない。僕は自分で自分に「疲れた」と言う呪文をかけて自分のことを見つめようとしなかった。そしてある程度の肉体的な疲労が改善された後、ヘドロ状になった疲れも肉体的な疲れか精神的な疲れなのかを観察していくことで水と油のように上手に分かれていくことに気がついた。
気がついてからは重労働であってもしっかり体操やストレッチしてメンテナンスをしてやると自然と睡魔もやってきて早めに寝ちゃうし、気分はずっとハツラツとしている。
まるで10代20代の時のような気分で毎日過ごせれるようになって本当に気分ハツラツなのです。

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