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sosoの素(63)

得手不得手/優劣

自分のできないこと、苦手なことがあると難しいなーと思う。
それをいとも簡単にやってのける人がいると純粋に関心してしまう。
子供を見てるとこの子たちには無限の可能性があって、、、と思う時があるけど、よくよく観察しているとやっぱりそれぞれ好奇心の赴く方向が異なってて全能だと思わない方がいいなーとよく思う。

僕は器用で飽き性。ある程度のことはちょっとやると少し出来るようになって、少し出来るようになったらそこで満足しちゃう。そう、器用貧乏。そのことを小さい時からいろんな人に言われて来た。
テレビなどで職人の特集をしている時によく「不器用な人の方が職人に向いている」といってる場面に目が留まる。その度に「ああ、僕には無理なんだろうな」と悲しい気持ちになっていた。

sosoを改修してもらってる時に大工さんとたくさん話をした。
その時に「今の若い子はすぐに向いてないって言う」とよくいっていた。大工さん曰く、20歳からやって70歳くらいまで続けて振り返ってみて向いてなかったなら向いてなかっただろうけど2-3年で向いてるかどうかなんてわかるわけがないとも続けていた。きっとこれから何か始めようと意気込んできた僕へのエールも込めた話だったと思うけど、向き不向きを考える上で大切なことの一つだと今でも心に留めている。

僕は昔から木工が苦手だなーと思っていた。
この仕事を始めた頃も鉄工や金工の方が向いてる気がしていたし扱いやすかった。木工は逆で多分出来るだろうけど毛嫌いもしていたし、ミスがミスとしてはっきり出てきてしまうことに肌が合わないと思い込んでいた。
それでも家具を自分で作れるようになりたくて失敗もたくさんしながら繰り返していくとそれなりにできるようになってくる。あんなに信じられないようなミスをして、その度に「向いてない」と癇癪にも似た気持ちで張り裂けそうになっていたのにこの頃はミスすらもしなくなってきた。
じゃあ自分が木工に向いているかと言われたらやっぱり向いてないかな?とは思う。あべこべな感じだけど。

向き不向きを考える時、自分より上手く綺麗にできる人と自分を比べてる、それもとびきり上手な人と。
木工のこともそう。僕よりも木工関係の仕事をしている人だと綺麗にピッチリと仕上げれる人の方が断然多い。
鉄工金工も僕よりも綺麗に仕事できる人だらけだけど向き不向きを考えすらしないのはよく考えると不思議なことだとこれを書いてて思う。

先日小学校の運動会があった。
徒競走であの子が速いねなんて話しながら、例えここで一番速くても中学校に行けばもっと速い子はいるし、高校、大学その先も速さだけで競っていくとどんどん強敵が現れることを思うとスポーツは残酷だなーと思う。
そんな判断基準で物事の向き不向きを考えてしまうと僕の仕事なんかはどれだけ綺麗で精巧なことができるか否かになるんだけれど、そこでは僕は勝負する前から完敗でスタートラインにすら立ちたくない。
自分の特徴がそこではないことはこの仕事をする前から重々わかっていた。
だから初めから不揃いで大雑把であいまいなモノづくりをしてきた。
そしてものづくりとして負い目であるはずのそれらが僕の特徴になり、それを武器に少し綺麗な作りをするだけでも新たな一面として喜んでもらえる。

優劣なんてどこにあるのかなんて本当はわからない。
なんでも優劣つけたがったり、きっぱり言い切ることへの賛美が多くなってる最近の傾向を少し怖くも思う。

徒競走で運動が苦手そうなぽっちゃりした男の子の真剣だけど少し笑顔嬉しそうに走ってる姿に僕は一番心揺さぶられたのでした。
優劣だけでこの世はできていないのです。

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