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sosoの素(86)

今の自分は過去の自分からできている

若かれしころ、多くはないけど自己啓発本的なものも読んだ。
そこには具体的な行動提案がなされてて、そのほとんどが挨拶をする程度の簡易的なもので出来て当たり前だから実践できなかったらこちらが悪いような気持ちになってたりもした。
そもそも自己啓発とはなんなんだろう。
もしかしたら僕のこれまで書いてきたものも自己啓発なんだろうか?
決して違うと自信を持って言えるけど、その人の見方や考え方によっては自己啓発的な何かに写ってるのかもしれない。

自己啓発系のものは宗教に似ていると思ってる。そこオリジナルの型(教え)があってそこに自分をはめ込んでいくことで少しずつそこでの正しいと言われるものに馴染んで近づいていけるのだろう。
教えを請い続ける。その視点で考えると教育にも似ているのかもしれないね。
その多くは答えであったり真理であったり先人やどこかの誰かが考え出した行き先に向かってとにかく進んでいく。その道から外れれば脱落者の烙印を押されてしまったかのような錯覚にもなる。
そういった規制や制限がある方がやりやすい人ももちろんいるだろうし、それによって救われたと思ってる人がいるのも確かだから自己啓発自体が悪いとは思ってはないけど、脱落した罪悪感や答えを自分以外の誰かに求め続けなければならないことを考えると僕自身は嫌悪感がある。

誰もがこれまでの人生の中で無駄なく必要なことだけをして生きてきたなんてことはない。大これ少なかれ無駄なことをして生きてる。
無駄なことって好きだったり興味があったりと好奇心が基になってでしかやらないよね。苦手なことや嫌いなことを暇だからってやらないもんね。

先日イベントで子供達が楽しめるように大きな紙に桜の幹を描き、消しゴムハンコで桜の花びらを押してもらった。それはイベントのチラシにも押してて、それを元保育士さんでいままで趣味で消しゴムはんこを彫っていた子供の同級生のお母さんにお願いした。初めは綺麗な桜の花びらを彫ってくれてたけど僕らのイメージとしては子供の落書きみたいなものがいいねとなり、お子さんに描いてもらったものを彫ってくれた。それはそれは自由な線で大人には描くことの難しい線。あまりにもよかったのでにゃーにゃーごろごろ焙煎所の子供が描いてくれた絵をシールにしたもののハンコも欲しいと思い彫ってもらった。
子育てやパート、家事などで毎日の精一杯になっていて忙しいこともあったみたいだけどそれ以外にもハンコのデザインがありきたりのものしか出てこなかったこともありハンコ制作から遠ざかっていたそう。そして今回、子供の描いたものを彫ってビビビ!としたものを感じこんなに楽しく彫れたのは初めて!と感激されていた。
とても真面目な方で多くのことを正面から受け止め、なんとかして行こうと頑張っちゃえる人なのでいつも必要以上に頭で考えて自分を責めやすい傾向だった。僕からみると真面目なこともさることながら子供たち(自分の子供以外も)に対しての愛情や許容の深さは素晴らしいと思ってて、それがもっと活きてくるとみんなが幸せだろうなーと会うたびに少しずつ「ちゃんとしなきゃ」を解きほぐせるようなことを話していた。
そして今回のハンコ作りから少し飛躍してお子さんの絵のハンコをオーダー制作の試みまでやり始めたのです。

彼女の真面目さ、保育士さんとしての経験、ハンコ制作、子育て、その全ての点がたまたま今回、線として繋がりそれまで体験することのできなかった喜びと出会えたんだと思う。
それらは偶然の産物で必然ではない。だけど点が線になると本人にとっては偶然が必然としてしか思えなくなるくらいドラマチックな出来事。
そのきっかけはイベントのチラシ用のハンコで、たまたま僕らが居ただけでそれまでの経験は彼女が自分で作ってきたもの以外何物でもない。
過去の自分の経験から今の自分はできてるし、今していることの先に未来の自分が作られる。
無駄だとか、意味がないと言われることも10年後には宝物のような存在になってることだってたくさんあるから、肩肘張らず好奇心に身を任せ、楽しいことを積み重ねれるといいね。

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