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sosoの素(38)

優しさは難しいけど愛おしい 前編

優しくあり続けるって本当に大変。
周りに対してガサツで乱暴で高圧的にすると自分自身は被害を被らないし嫌々ながらも仕方なしで周りが動いてくれて楽チンな人もしる。うまく行ってると思うから自分のことを正しいと思えるのかもしれないけど、その周りにいる人は振り回されるし怖いから怯えるし、そんな環境にいないとといけないから毎度不安で嫌だよね。その場しのぎの身勝手でそれでいて自分は正しいと思ってのことだから煙たがられることはあっても慕われたり尊敬されることからとても遠いこと。高圧的な人ほど名誉力とかありそうだ。
あー、だめだめ、ついつい愚痴っぽい話から始めてしまった。
僕は関わりたいなーと思った人や僕に何かをお願いしたいときてくれたお客さんには心から喜んでもらいたいなんて理想を抱いているからやっぱり優しく丁寧であることくらいしか見つけれないくて、それでもそれが理想への一番の近道だとこれまでの経験で学んできた。

優しさって怒りに比べると分かりにくくて気づかれにくい。これは本当に困ったことで丁寧に優しくされるより乱暴にガサツにされたことの方が人は記憶に残ってしまう。北風と太陽みたいなものだね
例えば飲食店でカウンターの中の大将が威張り散らしてお手伝いの人とかを叱って罵ってるお店もあれば、自分よりスタッフ、お客さんが心地よくあるように心がけてる店があるとしたら次に行きたいのは後者だけど印象に残ることだけで考えたら二度と行きたくない威張った大将がいる方がどうしても残ってしまう。二度とはいかないんだけどね。

昔アルバイトしていた店主一人で営んでる飲食店で出し巻きの注文があった時に割り切れる数に切って出していた。運んでる僕は全く気にしてなかったけど、ある常連さんがその気遣いに気づいてとても喜んでいて、その時は「へーそうなんだ」くらいにしか思ってなかった。(僕の優しさを感知する能力の低さだ)
一見さんもこのカット数がここの出し方だと思うだけで人数のことを気にしてくれてるなんて気付かなくて当然だと思う。だって運んでた僕ですら気に留めていなかったんだから。

だけど気づいてもらえてももらえなくても店主にとっては大差ないようだった。切る時に4つか5つか6つかの違いだけでせっかくなら割り切れるようにしようと思うくらいだったのかもしれない。優しさや思いやりはそんな些細で繊細なことでしかない。

後編につづく

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