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sosoの素(111)

わんわんわん

111回目なので犬の話でも書こうと思う。
僕らは20代前半に犬を飼い出した。その名も「ここたろう」。
ここたろうの一生の間に僕らは結婚をし、出産で家族が増えたりsosoを始めたりと人生の大きな山場を一緒に過ごしてくれた。

僕は茶トラの猫のたびちゃんを飼うまで犬しか飼ったことがなく、ずっと犬派だった。
主人に従順で愛想がよく散歩や走るのが楽しくてたまらないあの感じが可愛くて仕方がなかった。
子供の頃、飼っていた犬を散歩に連れて行くのが面倒くさくてトイレをしたら直ぐに引きずるように帰ってきたら父親にこっぴどく怒られるくらいだったのに、ここたろうとの散歩は長いと1時間以上していた。

散歩の楽しさはここたろうに教えてもらった。
どんなに疲れていても健気に待ってる姿やリードを手にした時の喜び方を見てるとこちらまで嬉しくなった。
sosoを始めてからなかなか上手く物事が運ばず思い悩む日々に誰も僕の作ったものなんて興味がなくて不必要な人間なんじゃないかと落ち込んでる時も散歩に行こうかと言うと大喜びではしゃいでくれていじけそうな気持ちを吹き飛ばしてくれたし、歩きながら独り言のようなここたろうに話しかけるような感じで言葉を口にしてながら考えをまとめたり、夕焼けや空や風や音を感じることの気持ち良さを知った。

独身のころ夕日が沈む肌寒いある日、散歩をしている時に「愛おしい」と言う気持ちがふわっと胸にやってきて自分以外でこんなに大切な存在が愛おしいなんだとわかった気がした。
それは結婚して子供ができてもやはり同じ気持ちがやってきて、やっぱりこれが愛おしいなんだ、僕はここたろうに愛おしいを教えてもらったんだと嬉しくなった。

少しずつ老いていき、散歩にも行きたがらなくなった。
夏場だったのでクーラーをつけても呼吸が荒く、息苦しそうだったので病院に連れて行ったけど、酸素カプセルに入れるしか方法はないと言われとりあえず半日入院させた。
夕方、保育園に娘を迎えに行ったなりにそのまま病院に行き、迎えに行って僕らの顔を見た時の表情はとても嬉しそうで久しぶりに見る散歩に出かける前のようで、きっと僕らのことを待っていたんだと思えた。
そして僕が抱きかかえると安心したのか僕の腕の中でそのまますーっと長い眠りについた。
今思い出して書いていても涙が出てきそうになる。

帰宅後娘が金メダルを作って首にかけてくれた。
悲しさと和やかが交差する。
今の僕を作ってくれた恩人ならぬ恩犬でここたろうなしでは今はありえない。それだけたくさんの時間を一緒に過ごしてくれたし、僕を成長させてくれた。
別れは寂しかったけど、天国で待ってくれたらよぼよぼの僕もそのうち行くからまた一緒にいろんなところ散歩できるからなと声をかけて、僕はいまでもそれを楽しみにしている。

今考えると結婚もしてないのに20代前半の別れる可能性があるカップルが犬を飼うなんて。別れたらどうするの?と思わなくもないけど、若さと勢いのおかげでとても良い時間と経験をさせてもらえた。
少し湿っぽさもあったけど僕の犬の話でした。

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