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sosoの素(55)

抗わない

手放すと新しいものがやってくる。
そんなこともよく耳にするけど、本当にそうだなーとよく思う。

一年半ほどぼちぼちと準備を続けてることがあって、それ自体はしっかり準備ができた時に告知する予定なので楽しみにしててもらえたら嬉しいな。

今準備していることは実は2度ほど頓挫していること。
その度に怒りや悲しみ、憎しみの感情が湧いてきて大変だったけど、争わず、自分の腹の中にしっかり堪えて負の感情が湧いてこなくなるまでじっくり塩漬けして可能な限りの毒素を抜いて良い経験だったねとなるように頑張ってる。

昔はその逆で「なんで?」「どうして?」なんて問い詰めながら相手の揚げ足を取って無理にでも自分の要望を突き通したりもしていたけど、上手くいっても後味が悪いし、ガキのわがままだなと思ってからは恥ずかしくてしなくなった。

今の僕は関わる人皆楽しかったり嬉しかったりしたらいいなーと思ってる。例え自分の利益が減ってもマイナスにさえならなければ(なってもいいかと思う時もあり)関わった人が良かったと思う方を積極的に選んでる。
そんなことをしていると不思議とその時にはわかりやすい利益がなくとも周り回って自分に返って来ることがほとんどだし、揉めないってだけで揉めるよりもかなり労力も使わないから楽ちんでいい。

それでも少ない時間をやりくりしながらちょこちょこ下準備や構想を練ったものが頓挫するとダメージは大きい。その度に昔の自分が出てきて負の感情が湧き上がってくるのもダメージがあるし、決して嬉しいことではない。
僕にできる今のベストは尽くしての頓挫なのでやり方を失敗したとかの後悔はないから負の感情は湧き出てきたとしてもある意味諦めはつきやすい。

頓挫した時に「なんで」「どうして」はあまり考えないようにして「そうなんだ」「んー残念」くらいに留めてる。
それは僕なりの処世術。
気持ちの冷めた恋人が再び燃え上がってくれることがないのと同じく、一度頓挫したものはスムーズにはいかない。人と関わる上での真理だとも思ってる。(長時間かけてわだかまりがなくなることはあるけどそれとは違う)
だから無駄追いせずにきっぱりさっぱり切り替える。

上手くいくときは驚くほど上手くいくし、上手くいかないときはどんなに頑張っても上手くいかないし、頑張れば頑張るほど頑張った以上のダメージがやってくる。

頓挫したってことは今やるべきじゃない流れの中にいるってこと。流れに抗えばいずれもっと大きな流れに飲まれてしまう。じゃあ全く白紙になったのかというと決してそうじゃない。
1度目の頓挫では僕らの本当にしたいことがより具体的になったし、2度目の頓挫は未来への希望と具体的な課題を持つことができた。
1度目の頓挫がなくスムーズに進んでいれば今のやりたいこととは少しずれたものになってたと思うし、2度目の頓挫は今やれることでやりたいことだけやりなさいと言われてる気分。

そうやって無理せず争わず、楽しくやれることをしっかりやってる姿をどこかで誰かが見ててくれるし、その積み重ねの先に未来は待ってる。
そんなことを思ってると多少のことは多めに見れて心穏やかになるから心地よい。

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