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sosoの素(40)

優しさは難しいけど愛おしい/後編

優しさや丁寧さってそれを感じる心を持ってる相手でなければまず伝わらない。そして優しさを与える伝える側になると相手に届かないことも本当に多くて一人でバカみたいだなーと思ってしまうこともある。
世の中全てを数字や効率だけで考えれば予算や納期だけで切り捨ててしまうのがやっぱり一番手っ取り早い。感情はノイズだと言われるのもわからなくはない。だから大手になればなるほどその辺りがきっちりしててたくさんの人でたくさんの仕事を進めていけている。だけど僕みたいに一人でやっててお客さんと楽しく関わってお友達になったりしてしまうことも喜びにしている変わり者としては自分の理想に従って実直にバカみたいに優しく丁寧に関わっていくことが楽しい。
ただ生きて暮らしていくだけでも本当に大変でくたびれる。それでもドキドキして打ち合わせに来てくれた方が自分の好きや嬉しいと出会って顔がパッと明るくなった瞬間は僕も僕の理想に少しだけ触れさせてもらえた気分になるのです。

子供のことも彼らは僕らの考えをしっかりと理解して成長してくれるとまでは思っていない。自分の子供のころを思い返すと家族って当たり前すぎて何が普通で何が普通じゃないかがわからない。きっと我が家の子供たちはお店してて、家にお客さんが来ることが普通で、僕が転職して朝スーツ着て会社に行って夜遅くに帰って来る方が違和感になるんだと思う。
僕らがぐっと怒りをこらえて(こらえてても滲み出てしまってるだろうけど)冷静にいようと努めながら何度も話し合いでなんとかしようとしていることは当たり前でありがたくも感じず、優しくされたってことすら忘れてしまうくらいがちょうどいいのかもしれない。
そんな子供たちが大きくなってもしも家族を持って自分の子供に関わる時の当たり前の引き出しに優しさしか入ってなかったと思った時、僕らからの時空を超えた贈り物に気づいてくれるはず。

伝えよう、与えようとしすぎた時点で優しさは消えていく。
優しさはその存在を感じるか感じないかの微妙な場所でいなければならないし、気付かせないことも優しさでもある。そしてそれはその時にはわからなくても長い時間かけて心に届くことだってあって、数字やお金では推し量れない、人が人であれる素晴らしさなんじゃないだろうか。

優しさは難しいけど愛おしい。


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