sosoの素(36)
ものは試し
sosoを始めて10年くらいになるけど、始めから今のようなお店になるだなんて思っていなかった。もう少しギャラリー的な要素が多い場所になるかな?とは思っていたけど、そんなこともなく僕らに取っては心地よい場所になっている。
sosoを始める前から考えると今の僕のいる所なんて想像すらし得なかった。自分が何が出来て何が出来ないかすら全くわかってなかったくせに、なんでもできると勘違いだけはしていた。
自分のことを買いかぶってるからこそ、なんでもできるんじゃないかと思い上がって自分でできることは自分でしたいと思い、思いつくままにやってみた。
天然酵母を育ててパンも1度は焼いたし、ハンチング帽も作ったけどどちらも手に馴染まなかった。今ならもう少しうまくできそうだけど、違いを生む出すほどのものはできないだろうし、餅は餅屋にの気持ちになる。
その逆で、鉄工、木工、コーヒーの焙煎は独学の割に飽きずに少しずつできることや自分が満足することが増えてきてて仕事になっている。
年を重ねると失敗をすることがなんだか恥ずかしいことに思えてくる。日常生活でもパッケージを開けて、ゴミを捨てようとしたら商品を捨てたり、波平さんのように頭の上にメガネを置きながらメガネを探したり、恥ずかしい失敗が出てくるし増えてくる。人はいつだって失敗をするんだけど、仕事のことになると絶対失敗してはいけないって雰囲気になる。
もちろん失敗できない場面はあるけども、まだやったことのないことやチャレンジすることは失敗して当然なはずなのにそれを許されない空気のようなものが大人って枠にはあるような気がするし、それに縛られて出来ることをできる範囲でしかやらない人もたくさんいると思うのです。
多くのことを独学で始めて進めてきた僕は、失敗ありきで物事を始めていく。まずはやってみる。やってみてどれだけうまく出来ないかを自分自身で理解すると、次の課題が明確になる。その課題をクリアするとまた次の課題があって、その繰り返しで続いていく。ゴールもなければ答えもない。あるのはそのことと向き合ってきた時間と経験だけで成果や結果はその副産物。まるで人生そのもののように思えて、続けば続くほど財産になっていく。
中にはなかなかしっくりこず途中でやめたものも出てくるだろうけど、自分には向いていなかったことはよくわかる。頭じゃなくて身体で学べること。
ついつい僕らはうまくいくかどうかばかりに気持ちがいっちゃうけど、ものは試しでやってみる。面白そうだと思ったことは自分に合ってるかどうかは考えず、手や身体で判断していく。そのうち自分の向き不向きがやる前からわかるようになるし、昔不向きだったものも向き合い方のコツみたいなものがわかってくるとうまくできることも増えてくる。
せっかく面白そうだと思えたんならやってみよう。
大いに失敗してしまっても、頭に乗せたメガネを探したことのようにいつか笑い話になったらそれはもう失敗とは言えない出来事に変わっちゃう。
誰だって自分の可能性を自分で理解できてないんだからものは試し、やってみよう。
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