新共通テストについて 〜教育格差を考える〜

現在、新共通テストの不公平性が叫ばれるようになっています。それは、地理的経済的家庭的格差ゆえの提唱だと思います。しかしながら、僕はそれらを以前から感じていました。だからギャーギャー騒ぐな、という話ではありません。ようやく、社会が格差に注目するようになってきたという感心です。
僕も地方の裕福ではない家庭で育ちました。塾に行ったこともありません。欲しいテキストや単語帳の購入を制限されることもありました。第一志望の大学は東進や河合、駿台生、あるいは開成、灘校生に占められており、努力こそしましたが、実力が不足していました。現在は某国立大学に通っています。
高校時代の話をします。
私は電車で往復2時間弱の立地で学校に通っていました。その通学時間は必ず勉強するようにしていました。電車の定期代だって安くはありません。家庭に負担をかけないように、特待生となって授業料を免除していただくために、学年トップの成績を維持していました。休み時間や放課後も毎日勉強していました。1ヶ月の自主学習時間は最低でも200時間を超えていました。(多いときは340時間ほど。)それでも第一志望の大学には実力が届きませんでした。「質が悪かったんじゃないの?」と言われればそれまでですが、そこにも環境による格差が介在していることを理解していただきたいです。残念ながら私の周囲には、私の第一志望の大学と同じ大学を志望している人はいませんでしたし、合格した先輩などもいませんでした。教員もその大学の入試に精通したものは(1名を除き)いなかったし、私の情報源はネットと本だけでした。ここにはモチベーションや具体的なビジョンという点で、格差というには大げさかもしれませんが、明確な差があったと言えます。
つらつらと書き進めてきましたが、要するに、私は大学入試において経済的地理的家庭的環境的格差というものを強く感じてきました。これまでそれは難関大学や都道府県外の大学を志望するものたちが主に感じるものだったと思いますが、試験制度改革により、それが全受験生に降りかかってきた、顕在化してきたと言えるのではないでしょうか。
さて、皆様はどう思いますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?