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昔近所にあった駄菓子屋さんの話

小さい頃は近所に駄菓子屋さんがあった。5つ上の兄貴が小さかったころは、駄菓子屋さんが2軒あったらしく、坂の上にある駄菓子やさんを「上の駄菓子屋さん」、そうじゃない方を「下の駄菓子屋さん」と呼んでいたらしい。僕が物心ついたときには上の駄菓子屋さんはもう潰れていたので、行くのはいつも下の駄菓子屋さんだった。優しそうなおばあちゃんと、強面のおじいさんが営業する店だった。

幼稚園児だったころは親と一緒に行ったが、小学生になると自分で行くようになった。少ないお小遣いを握りしめて、何を買おうかなんてワクワクしていた。遠足の時は、300円以内でどれだけ満足できるか考えて買っていた。僕が特に好きだったお菓子は「わたパチ」と「ヤッターメン」「ガブリチュウ」。好きなお菓子を買った後の端数は10円ガムで調整したりしていた。小さい僕には、この上なく楽しい瞬間の1つだった。

僕の住んでいた地域は、結構な田舎で、自転車で30分ぐらいは漕がないと駅には行けない(徒歩だと2時間以上ぐらいはかかりそう)。家は団地で数百軒の家が固まって建っているが、周りは田んぼだらけだ。僕は高校まで家から最寄りの学校に通ったが、お世辞にも民度が高いとは言えなかった。

小学校の頃には、そんな閉じたコミュニティの中で悪ぶりたい同級生がたくさんいた。中には、下の駄菓子屋さんで万引きを繰り返して同級生に自慢するような奴もいた。僕自身はそんな彼らを冷めた目で見ていた。個人の駄菓子屋なんて普通に商売してても儲からないようなものだ。その上、万引きを繰り返されればお店はむしろ赤字だっただろう。

小学3年生ぐらいの時だった。ある日たまたま僕は2回連続でお菓子の当たりを引いた。僕は無邪気に喜んで2回目の交換に行ったけど、駄菓子屋のおじいさんに不正を疑われた。何も悪いことをしていないのに「何か不正をしたんじゃないのか」と詰められ続けた僕は、幼いながらに恐怖とも怒りが入り混じったような感情を持った。もしかしたら万引きを繰り返されてて、おじいさん達は過敏になっていたのかもしれない。けど、そんなことは当時の僕には関係なかった。僕は2度とその店には行かなかった。

数年経って僕が中学生になった頃、噂で件の駄菓子屋が潰れたことを聞いた。当時の僕は、不正を疑われたときのことははっきり覚えていたが、店が潰れたこと自体に関しては残念だとも、逆にざまあみろといった感情も抱かなかった。特に強い感情もなく、そうなんだと思った。ただ、その日は何故だか無性に駄菓子が食べたくなって、近所のスーパーで買って帰った。

それから更に10年近く経って、僕自身はもう社会人になろうとしている。今でも実家に帰ると散歩で下の駄菓子屋さんがあったところを通ることがある。建物自体はまだあって、住居を兼ねていたので、もしかしたら優しいおばあちゃんも、僕を怒ったおじいさんもまだ住んでいるのかもしれない。はたまた、当時すでに随分高齢だったからもう亡くなっているかもしれない。ここを通る時は、そんな懐かしいような、よくわからない感情を抱かされる。この感情が何なのかはこれからもはっきりすることはないと思う。

それでも1つだけはっきりしていることがある。

僕は今も駄菓子が好きだ。

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