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曲が作れないならタイプビートを買えばいいって話。

最近、周りに曲が作れないという悩みや曲作るモードに入れなくて作れんみたいな人が多いのですが、それについて考えてみようという話です。

僕は曲が作れないとかモードに入らないとできないとかいうことは全然なくて単にそれってインプットが足りてないだけじゃね?&そんなに曲作るのが好きじゃないだけでは?&それと数打ってないからじゃん?としか思わないんですがそれで話終わらせるのは単なる言葉の暴力なので考察していきます

あと曲作れないっていうのは正しい表現じゃないと思うのでここに明確に定義したほうがいいと思うのですが、表現欲求があるにも関わらず自分の作曲に納得がいかず完成できないという事だと言い換えられると思います。

そもそも曲作って自分のオリジナル&自身の尊厳をかけたものであることに過度にこだわりを捨てた方が良い。と最近考えています。これは僕の思想ではあるのですが。ファッションとかでもそうなんですがモード(自分の中での流行り廃りはもちろん、世間での流行は移ろうモノです)っていうのは移り変わるしそもそも12音で作曲していたら真のオリジナルって厳しくないか?ってそもそも思います。変な話平均律外で試行錯誤されてたら真のオリジナルっていうのは難しいし時間かかるのわかります。
平均律という時点でそもそもかなり制約が多い条件でやっているものなんでで、ある程度独自性と作家性は限定されたものにならざるを得ないと考えます。なので血反吐を吐いて作りましたそして創作物と自己を過度に同一化するよりそもそもその出自がインスタントなものであるのでどんどんインスタントに作っていいしいっぱい作ったほうが上達しないか?と思うのです。

それに今極端な話売れてるタイプビートよりかっこいい音源作るのって難しいし全然買った上でその上に何を乗せるかセンスで勝負してもいい(なんだか寿司みたいだ)と思います。過度に作者と創作物を同一化し、神聖化するのは西洋的な悪癖だと思います。ある程度旋律や曲想っていうのは部族ごとに共有化されているものといった非西欧的な価値観に親近感を覚えます。

まあこの話は単にこういった考えもあると知ったらもしかしたら楽になるかも、などと思って描いてみました、どんどん書いてみよういっぱい書いてあげた方が曲も喜ぶと思いますよ〜。それでは。


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