見出し画像

断捨離とはこういうことなのか

*断捨離とはこういうことなのか*

身体の歪みに気づいたとき、心が解放され、そしてまたひとつ身体がプレーンな状態へと近づきました。

基礎とわたしたちが呼んでいる姿勢や身体の軸を整えてゆく稽古では、より身体が真っ直ぐでプレーンであることを目指します。
(どういった状態が真っ直ぐであるのかという話はここでは割愛します。)

12月前半の合宿で、鎖骨・肩甲骨あたりの位置を修正されたとき

「え?この位置でよいの?」

と疑問が沸き起こりました。

その疑問を紐解いてゆくと、自分のトラウマが見えてきたのです。

学生のころ、わたしは恥ずかしながら今よりもずっと傲慢で高飛車でした。

それを周りの方々からことある毎に指摘されていたのですが、これがありのままのわたしである!とその態度を崩さないことが強さであると信じていました。

学生時代の態度は身体性にも現れていて、反り腰で肋骨の下が開いていました。胸が広がり姿勢が良いように見えてしまうのですが、それは大きな勘違いで。お腹に全く力の入っていない、中身のないものでした。

師匠と出会ってから、自分の性格と向き合うようになり、過去の自分をとても恥ずかしく感じるようになっていました。

そうすると今度は、高圧的な態度を隠すため肩を縮こませ小さく見せようと、身体が無意識にその姿勢をとろうとしていたのです。

稽古場の外に出た時も、踊り手として姿勢を気をつけなさい、踊り手であるならば日常から、と師匠から散々言っていただいていたのにすぐに怠けようとするこの身体。

わたしはなんでこんなに意識が散漫なんだ…集中が保てないんだ…と思っていました。

そこで冒頭の話に戻ります。

「え?この位置でよいの?」

というのは

「この位置に鎖骨や肩甲骨があったら高圧的に見えてしまわない?」
ということ。

その疑問を紐解いていったときに、ひとつの答えが見えてきました。

あぁ、わたしは高圧的だと言われて傷ついていたんだと。

傷ついていたことを無視してどんどん鎧を固くして、悪循環になっていたんだと。

それに気づいた時、すべてを受け入れられました。

鎧を纏わざるをえなかった弱い自分を受け入れ
その過去も受け入れ
もう大丈夫だよ、と。

もう鎧は脱いでも大丈夫
わたしは強くなったから。

その瞬間に、殻がひとつ剥けたと感じました。

そうすると、姿勢も急激に変化しました。
今までかなりの意識と力を必要としていた上半身の位置に、スムーズに到達できるようになったのです。

傷ついていたという過去は、正直、自業自得、身から出た錆、すべての原因は自分にあります。
わたしの言動により傷つけてしまった方々もいらっしゃいます。
過去は変えられないけれど、
その方々が幸せに過ごされていることを願うばかりです。

身体の癖と心のトラウマはつながっているんだと体験した出来事でした。

身体活動を通して、人間性を高めてゆきたい
時には痛みを伴うことがあるかもしれないけれど、越えた先でより生きやすい自分に出会えると信じて

これが大きなテーマのひとつです。

そのために、踊りの稽古とTri Yogaの練習をわたしは選びました。

必要としている方々と、踊りやTri Yogaを通して、そのような時間を過ごしてゆきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?