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作った自分は誰のため?

まえがき

皆様自分はどんな人だと思いますか?またどんな自分を求めていますでしょうか?そのために何をしていますでしょうか?今回はその自分のためにしていることについての記事を書こうと思います。

作る自分の像

まずこの記事においての求める自分について、そのためにしていること、つまりは作られた自分の像についての話をします。自分を作るということはどんなことかといいますと、目標のためだとか憧れがあるからとかではありません。どちらかというとそういうもののために自分を作るのは自分を作るというよりも自分の個性だと考えています。私が今回触れたいのは、モテるためには?だとか頭よく見せるには?という正直であるべき場面で自分を作る、偽ることです。偽りの自分はいつかばれますし偽ったところで余計な期待をかけられて自分にマイナスに働くのではないでしょうか。そういった偽りの自分を作られた自分とこの記事では扱っていきます。

自分のために生きるのでは?

見なくても結構ですが私は過去に自分のために生きているといった記事を書いております。簡単に要約すると私たちは人のためといえどもそういう自分でありたいがために生きているから結局自分のために生きているという記事でした。つまり私たちは自分のために生きているということを言いたいわけでした。私たちは自分のために生きています。しかしながら自分を作るのはマイナスに働く。では私たちは作られた自分をだれのために操っているのでしょうか。

目の前のもの、それで得たもの

私はおそらく目の前のもののために自分を作っていると思います。モテたいと努力して得た配偶者は作った自分を好んだため、本来の自分は偽り続けなければならない。頭が良くなりたいと努力して目先の結果のため暗記ばかりし、応用で怪我をする。そういった先を考えないから自分を作るのだと思います。

先を考えなくても良い

とはいえど先を考える必要があるとも言い切れないように思います。作った自分が好きならそれでいいと思います。結果的に何になりたいか、何をしたいかは自分次第でそんなことは私は知ったこっちゃないですし、自由にやった結果転んでもそれは自己責任です。先ばかり考えて動かなくては何もできませんしね。何事も動いてから物事が始まるという考えもあるでしょう。何をしても自業自得なのです。得するのも損するのも。

今回の議題

今回の議題は「作った自分とは何か」という題です。私は毎記事議題を挙げて皆様と考えようとしています。ただ大切なのは皆様がこの記事を読み、何を感じ、どう考えたかです。あくまでこの議題は皆様の考えの補助程度に活用ください。私はそもそも自分は全部作ったものという考えになってくるような気がします。私たちは自分を作っているようで元々の自分なんてないしそこからできたものは作られたものなのかという作った自分に対する定義付けであったりと、色々展開するのではと思います。誰かに話してみるとまた違う意見があっていいと思います。もし相手がいないなら私のTwitterにでも来てください。暇ならお話しお聞きします。

あとがき

今回の記事を書いてるうちに自分とは何かとか考えはじめましたね。正直自分がいいように生きていれば案外それでいいと思います。自分だけ楽しいというのは難しいと思いますがね。仲良い友達がブチギレてたら何だか気まずいというような感じで自分が楽しくても相手が気分悪いと自分も気分を害する。だからいい感じに楽しく過ごす。生き方ってのも面白いですよね。まぁ長くなるのでまた別のところで。それではまた。
by fe

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