【SH考察:060】ロレーヌは貴族時代には葡萄酒生産と無関係だった説
Sound Horizonの中では、ロレーヌの人生は『歓びと哀しみの葡萄酒』と『エルの天秤』で描かれており、この2曲の繋がりはかなりわかりやすい。
通説?や曲を素直に受け取った印象として、ロレーヌが愛した男は葡萄畑に携わり、彼の死後彼女が貴族から逃げ出して後を継いだように見える。
が、実はそれは成り立たないのでは? と思った。
今回はその理由と、矛盾がないように解釈するとどうなるかをまとめた。
対象
5th Story Romanより『歓びと哀しみの葡萄酒』
考察
ロレーヌと葡萄酒
『歓びと哀しみの葡萄酒』は葡萄酒を作る過程が描かれている。
そして時折、かつて愛した男の話も登場する。
そのまま素直に受け取ると、愛した人は祖父の使用人で、その使用人は葡萄酒用の葡萄畑を持ち、彼の死後ロレーヌがその畑で葡萄の栽培に携わるようになったととらえることが出来る。
しかし、よく考えるとこれには2点違和感がある。
ブルゴーニュのワイン生産地は伯爵領ではない
伯爵領だとしてもロレーヌがいるのは不自然
それぞれ何がどう違和感なのか、順を追って説明する。
ブルゴーニュのワイン
まず前提として、今ロレーヌがいる葡萄畑はブルゴーニュだ。
これは歌詞に登場する言葉からわかる。
葡萄畑(正確にはその区画)をclimatと呼ぶ
低温で湿度が低い
聖ヴィンセントの祭がある
これらはすべてブルゴーニュ地方のワイン生産地の特徴にあてはまる。
葡萄畑のことを「climat」と呼ぶのはブルゴーニュ特有だ。
この単語は通常「風土」「気候」「環境」という意味だが、ブルゴーニュにおいては葡萄の栽培区画を意味する。
また、ブルゴーニュの気候はほぼ大陸性気候。
フランスは地域によって気候が異なり、南側は地中海性気候となって温暖。ブルゴーニュは比較的北側にあるため、ほぼ大陸性気候。
冬は寒く乾燥していることが特徴だ。
そして、ブルゴーニュ地方にはFête de la Saint-Vincent tournante(聖ヴィンセント祭)がある。中世(詳細時期不明)に始まった伝統行事で、1月末に行われる。
聖ヴィンセントはサラゴサのヴィンセントとも呼ばれ、304年に迫害を受けて殉教した(キリスト教の教えを守るために死んだ)人物で、ワインの守護聖人とされている。
なぜワインの守護聖人になったのか、諸説あるもののその理由は不明。
ただ彼の祝日が1月22日で、ワイン用の葡萄の最初の剪定をする時期と近いのは一因としてあるかもしれない。
総合して、ロレーヌが栽培している葡萄畑が明らかにブルゴーニュ地方にあることがわかる。
ブルゴーニュ公とブルゴーニュ伯
どこまで現実に即してどこからがフィクションととらえるかで話が変わってくるが、いったんできるだけ現実に寄せて考えてみようと思う。
ロレーヌは伯爵家出身だ。
基本的にその地位は世襲であるため、彼女の祖父から父へその地位が継承されたはず。
ということは、祖父の使用人が葡萄畑に携わっていたのであれば、Saint‐Laurent家はブルゴーニュのワイン生産地を領地内で治めていることになる。
しかしこれは史実と合わない。
そこは伯爵ではなく公爵の領地だったからだ。
ブルゴーニュ伯と呼ばれる地位自体は実在しており、何回か家系が移り変わっているが、ブルゴーニュ伯という地位は長年存在していた。
それとは別にブルゴーニュ公という地位もあり、ブルゴーニュ伯とブルゴーニュ公で支配領域は分かたれていた。
ワイン産地はブルゴーニュ公の領地。
ブルゴーニュ伯の領地にもジュラというワイン生産地はあるが、葡萄畑の区画を「climat」と呼ぶ慣習はブルゴーニュのもの。
つまり、事実に基づくと伯爵Saint‐Laurent家がブルゴーニュのワイン産地には携わっていないはず。
となると自動的に、ロレーヌの祖父の使用人もclimatには直接関わっていないはずだ。
そこまで現実に即しておらず、作中のブルゴーニュは伯爵領という設定なのかもしれない。格下げである。
しかし、だとしてもロレーヌがそこに留まっているのはおかしくないだろうか?
彼女は伯爵家の地位存続の切り札だった。それを逃げ出したのだ。
普通に考えたら、領地内に留まっていたら、見つかって連れ戻されるなり罰されることを恐れそうなものだ。
ましてや、祖父の使用人の畑というのであれば伯爵家の馴染みなわけで、のうのうと留まるとは考えにくい。
つまり、ロレーヌは伯爵領から出て、ブルゴーニュ公の領地に逃れてからclimatに関わるようになったととらえる方が自然ではないだろうか。
葡萄畑と愛した彼との思い出
ロレーヌが貴族時代に葡萄畑に関わっていなかった場合、愛した彼との思い出の解釈を見直す必要がある。特にこの2点の描写だ。
愛した彼との『葡萄畑』
愛した人が遺した大地の恵み
考えられる可能性としては、この2つだろうか。
ちなみにこのterroirはワインなどに使う用語だ。
生産地の土地柄特有の気候や土壌などの特徴を指し、端的に訳すならば「産地の特性」だろうか。
土地ごとに特有のテロワールがあり、その特有のテロワールが特有の個性や風味を生むという考え方のようだ。
さらに近年では造り手もテロワールの一部として認識されることもある。
ではロレーヌの貴族時代に葡萄畑に関わっていなかったとして、愛した彼とに関わる描写をどう解釈するか。
考えられるのはこの2つだろうか。
愛した彼との思い出を胸に、彼と葡萄を栽培している気持ちになっている
彼の出身が公爵領で、彼の出身地の畑に携わることになった
1. 愛した彼との思い出を胸に、彼と葡萄を栽培している気持ちになっている?
2つの描写のうち、「愛した彼との『葡萄畑』」の方はは、これで拡大解釈できるとは思う。
ロレーヌの心の中にある思い出の彼と育てた葡萄畑、といったニュアンスだ。
「愛した人が遺した大地の恵み」を解釈するとしたら、「大地の恵み」という字面の意味は無視して、「テロワール」の意味を拡大解釈するイメージだろうか。
このテロワールは、「歓びと哀しみが織りなす調和」を生み出し、ロレーヌのワインの風味になっている。
歓びは愛する彼と出会い過ごした日々の歓び、哀しみは彼を失い逃走と闘争の日々の辛さを味わった哀しみだろう。
となると、これらの味わいを生み出した「愛した人が遺した大地の恵み」を、愛した彼との思い出と解釈するようなイメージだ。
2. 彼の出身が公爵領で、彼の出身地の畑に携わることになった
これは愛した彼がブルゴーニュ公爵領出身で、彼の実家が葡萄畑を持っているという仮定だ。
そこにロレーヌが逃走の果てに辿りつき、関わるようになったということになる。
だが使用人の出自に関する情報がまったくないため、その可能性があるかどうかを検討する材料がない。
結論
貴族時代のロレーヌはワイン生産とは無縁だったように思う。
愛した使用人との駆け落ちに失敗し、彼は死に、望まぬ結婚をさせられそうになり、おそらく領地から逃げだした。
そしてやがて公爵領であるブルゴーニュに辿りつき、ワイン生産に携わるようになった。
愛した彼との思い出、歓びと哀しみを胸にワインを作っており、それゆえに独特の風味が生まれている。
……というのが、今回考えたロレーヌの半生だ。
彼女の人生は『歓びと哀しみの葡萄酒』と『エルの天秤』で描かれているが、愛した彼である使用人の個性がわかる情報が全然ない。
既に2曲ある以上、さすがにもう新たな情報は出てこないかもしれないが、彼女の残りの人生が平穏であってほしいとは思う。
―――
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
更新履歴
2023/09/29
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記