【SH考察:108】兄が「シェイマスだかウィリアムだか」と言った理由
Sound Horizonのハロウィンと夜の物語に登場する、リヴァモア兄妹の兄の方。彼は名前が確定していない。ただし自ら「シェイマスだかウィリアムだか」と口にしている。
今回は、なぜ他のどの名前でもなく「シェイマス」「ウィリアム」の2つの名前を口にしたのかを考えてみよう。
対象
Story Maxi ハロウィンと夜の物語より『星の綺麗な夜』
考察
名前がハッキリしない兄
作中の主要登場人物であるアイルランド出身のリヴァモア兄妹のうち、先にアメリカに渡った兄は名前がハッキリしない。
彼自身が適当なことを言っている。
兄とは異なり妹の名前は非常にわかりやすい。彼女がキャサリンであることはナレーションや夫からの呼びかけで容易く特定できる。姓も明記されている。
妹のみならず、妹の夫ショーン、その間の子レニー、その友人のジョニー、兄が愛した女性ディアナ、そしてレニーと一緒にハロウィンの夜に近所を回った子供達の名前はいずれも一度以上言及されている。
このように、主要登場人物のなかで兄だけが名前が曖昧なままだ。
(厳密に言えば石工の爺や破落戸の《野心家》も名前が不明だが、主要人物ではないとみなしてここでは脇に置いておく)
では兄が口にした「シェイマス」「ウィリアム」は彼自身の名前なのだろうか。それとも別の意図があるのだろうか。
順に名前の特徴を確認しながら考えてみようと思う。
シェイマス
代表的な綴りはSeamus。ゲール語の名前で、アイルランド系の人物に見られる名前だ。
(アイルランド語はゲール語の一派)
絵馬に願ひを!~大神再臨祭~でアイルランド語で掛かれた絵馬があり、これの署名が「Seamus nó William nó…(シェイマスだかウィリアムだか…)」だった。そのため「シェイマス」「ウィリアム」の綴りはこれなのだろう。
シェイマスは聖書にも登場する「ヤコブ」という名前に由来する名前のゲール語形態だ。
ヤコブは聖書に登場する名前であるため、キリスト教文化が根付いている欧米では名づけの候補に挙がりやすい傾向がある。
実際、英語ではJames、フランス語ではJacques、ドイツ語ではJakobといったように、ヤコブから派生した名前は様々な言語で確認できる。
ただし、名づけの候補になりやすいという傾向は、ハロウィンと夜の物語の舞台となった19世紀(1840~50年代および兄妹が生まれたであろう1810~20年代)でも同様だっただろうか?
正確な情報を確認するには、現代でいう国勢調査のような、生まれた子供の名前の記録から頻度を調べたい。
しかしさすがに、19世紀前半に頻出する名前のデータがあまりないようだ。特にアイルランドに絞った情報が見つからなかった。
どうもアイルランドで出生記録を取り始めたのは1864年らしい。
この時点で作中の出来事から20年ほど経ってしまっている上に、この頃のアイルランド人の名前はかなり英語化が強制されていた。
(イギリスに併合された影響で英語を使用する国民学校が設立されたことなどの政治的なことが要因として挙げられる)
そのため、兄が生まれた頃~作中の出来事である1850年頃までの間でどれくらい普及していた名前なのかを、アイルランドの情報から探るのは難しい。そのため、同時期の周辺情報から推測してみる。
まず、アイルランドに接するイギリス(イングランドとウェールズ)や、アイルランドからの移民が大量に流れ込んだアメリカでは、シェイマスと同じ意味のJamesは非常にありふれた名前だった。
これはイングランドの中でもロンドンに絞られたデータではあるものの、1825年頃はJamesが4位。
またアイルランドから移民が殺到したアメリカでは、1850年の国勢調査で、1820年代生まれの男性の名前では3位。
アイルランドと関係性が強いこれらの国でシェイマスと同じ意味のJamesの出現頻度が高いことから、おそらくアイルランドでもシェイマスはありふれた名前だったのではないだろうか。
ウィリアム
英語での一般的な綴りはWilliam。絵馬の綴りも同じだった。
現代でも英語圏ではありふれた名前だが、作中舞台となった1840~50年代ではさらによりありふれた名前だった。
参考までに、イングランド及びウェールズでは、1840年~1900年までWilliamが男児の名前1位に君臨し続けている。
(兄が1840年代に移民としてアメリカに渡り参戦していることから20代と想定。逆算して1820年代生まれと推測できる。そのため1840年以降では新しすぎると言えばそう)
またアメリカの1850年の国勢調査で、1820年代生まれの男性の名前ではWilliamは2位。
こちらは兄の年代とも合うだろう。
イギリスでもアメリカでも、Williamはとにかくありふれた名前と言えるだろう。
ここまでの情報から、シェイマスもウィリアムもありふれた名前として思い浮かびやすそうなものを列挙したような印象を受ける。
ちなみにWilliamは聖書由来ではなく、ゲルマン祖語のwiljô (意志、願い、欲望) とhelmaz (兜、ヘルメット)と繋げた合成語が由来。
アイルランド系ではUilliamになる。
アイルランド系の名づけか英語系の名づけか
兄の名前が本当にシェイマスかウィリアムだった可能性も否定はできないが、仮にそうだったとしてもどちらなのかは特定できない。
妹のキャサリンは英語系の名だ。アイルランド系の場合はカトリーナ(綴りはCaitrionaなど)になる。
揃えて兄も英語系の名であるウィリアムだったかもしれない。しかし彼はアイルランドに移住した祖父から数えて3代目であるため、現地らしい名前であるシェイマスと名付けられていてもおかしくない。
そのためどちらかが彼の名前だったのか、はたまたどちらも違うのかはわからない。
結論
兄の「シェイマスだかウィリアムだか」という発言は、彼の名前がどちらかである可能性の提示というよりは、その直前の歌詞の「名も無き男」の強調表現だと思われる。
(もちろん本名である可能性もあるが)
シェイマスもウィリアムもありふれた名前だ。「名も無き男」という表現を、ありふれていて目立たず埋没している名前を例に挙げることで強調したのだろう。
(世界中のシェイマス氏とウィリアム氏には申し訳ないが)
日本語で置き換えるならば「太郎だか次郎だか知らんけど、もうどうでも良いさ」といったニュアンスだろうか。
―――
参考文献:
Douglas Galbi. 「First Name Popularity in England and Wales over the Past Thousand Years」. Given Name Frequency Project. https://www.galbithink.org/names.htm, (参照 2024/07/26)
Douglas Galbi. 「Most Popular Given Names, US 1800 to 1999」. Given Name Frequency Project. https://www.galbithink.org/names/us200.htm, (参照 2024/07/26)
表の出典でも表記したが改めて掲載。著者のダグラス・ガルビ博士はマサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。通信業界の経済エコノミストとして活動中。
―――
よろしければスキボタン(♡)タップ・コメント・シェアしていただけますと幸いです。
他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
𝕏(旧twitter):@lizrhythmliz
更新履歴
2024/09/14 初稿
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?