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【SH考察:078】『黒き女将の宿』の娘の出身地

Sound Horizonの『黒き女将の宿』にて、復讐を願う屍人姫しびとひめの一人である田舎娘がいる。
彼女が生きた地域の情報が曲中にちりばめられているため、いつの時代にどこで生きていたかがおおよそ特定できそうだ。


対象

  • 7th Story Märchen より『黒き女将の宿』

考察

時代と地域の特徴

この曲の復讐を求める屍人姫になる娘は名が判明していないため、便宜上ただの「娘」と呼ぶ。

『黒き女将の宿』は娘自身と周辺地域、時代に関する情報・特徴が結構たくさんちりばめられている。
これらの組み合わせて整理することで、時代も場所も絞り込める。

  • 訛りが強い

  • 貧しい村出身

  • ルター、ミュンツァー、フッテン、ジッキンゲンが認知されている

  • 農民戦争が起きている

訛りが強い田舎

娘が住んでいる場所は明らかにドイツ南部であることを表している。

まずわかりやすい特徴として、訛りが強い
これまでの楽曲で訛りが強調されたことは無かった。フランスでもスペインでも土地柄の訛りはある程度あるはずだが、Romanでも聖戦のイベリアでも楽曲中で訛りが強調されたことは無かった。

そのような中で、あえて『黒き女将の宿』では訛りを全面的に出してきたということから、娘の出身地は訛りが強い地域であるという点を強調したかったと推測できる。

ドイツの中でも、南部のシュヴァーベン地域と呼ばれるところは訛りが強く、方言が特徴的であることで有名だ。
(シュヴァーベン地域は県や州のような行政単位ではなく、ざっくりこのあたりを指すというような慣習的表現。
もっと狭い行政単位としてシュヴァーベン県というのもあるが、今回はそこまで狭い範囲の話ではなく歴史的価値観の話をしたいため、慣習的表現の方で解釈する)

図:ドイツのシュヴァーベン地域
赤色がシュヴァーベン方言を話す地域
黄色は他の方言も混ざる地域
出典:Kfz-Kennzeichen_Deutschlands.png: user:fremantleboy *KgrWuerttemberg.png: Ssch *Bayern_rbschwaben.png: user:Shaqspeare *File:Alamannien Hochburgund ca 1000.png: Marco Zanoli (Sidonius) *derivative work: Quahadi Añtó 06:51, 19 February 2013 (UTC), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

いわゆる訛り、つまり標準語にある語彙を標準語とは異なるイントネーションや発音で表す語があるほか、方言、つまり標準語にない独立した語彙もある。

また地理的にイタリアやフランスに近いため、文化風土も他国の影響を少なからず受けてきた。
そのため、ドイツの他地域から見ると異なる文化を持つように見えることから転じて、「シュヴァーベン」といえば田舎者を表すような慣習がある。

宗教改革とドイツ農民戦争

「人は信仰によってのみ救われる」と

偉い坊さんが言ったとさ
 本っていうのに書いたとさ
神様が助けてくれるなら たらふくおまんま食えっぺな
(中略)
「嗚呼Mäntzerミュンツァーは気高く、
Huttenフッテンは華麗で、
Sickingenジッキンゲンは、嗚呼、誰よりも――」

Sound Horizon. (2010). 黒き女将の宿 [Song]. On Märchen. KING RECORD.


曲中に3人の名前+明らかに特定の人物を指す引用句が登場するが、いずれも実在の人物で、宗教改革において重要な役割を果たした者だ。

  • 「人は信仰によってのみ救われる」と言った偉い人:ルター

  • Mäntzerミュツァー

  • Huttenフッテン

  • Sickingenジッキンゲン

図:左から順に
ルター、ミュンツァー、フッテン、ジッキンゲンの肖像画
出典:左から順に
Workshop of Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons
Christoph van Sichem, Public domain, via Wikimedia Commons
Erhard Schön (ca. 1491-1542), Public domain, via Wikimedia Commons
AnonymousUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

宗教改革とは、ルターがカトリック教会を批判したことによって始まったキリスト教の改革運動のこと。

ルターは、カトリック教会が免罪符という罪が許されるとされる紙を売り始めたことに対して批判した。
彼は「人は信仰によってのみ救われる」、つまりキリストはお金で買ったもので罪は軽くならないと説いたと解釈していたからだ。

このことを発端に教会の腐敗を非難する運動が拡大。
その最中、ミュンツァーは聖書・神学研究の過程で、聖職者や富裕層に偏っている財産を社会で共有すべきという共産主義的な思想を説くようになった。
(前述の免罪符が買える=財産のある者だけが赦されるのはおかしいという考え方と近いといえば近い。実際彼はルターに賛同していた)

この思想は、どちらかといえば貧民よりである農民・労働者の賛同を集め、やがて彼らは1524年に教会や領主などの富裕層・支配層に対して反乱を起こした。
これがドイツ農民戦争と呼ばれている。

戦争中、1525年にはシュヴァーベン地域の農民が12か条の要求をまとめ主張したことが知られている。

図:農民十二条パンフレット
出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

フッテンジッキンゲンは騎士の身分で、やはり教会は変わるべきだと訴えていた人物。
だがそういった思想とは別に、彼らは騎士として落ち目で、下級貴族とはいえ裕福とは言えないという問題があった。
そのため、そのような環境を打破するため、改革を口実に富裕層を攻撃して騎士たちの地位向上を目指したとも考えられている。
いわば改革を利用しようとした人物だ。

つまり、娘が貧しい村にいたときに、明らかに宗教改革と、それに影響されたドイツ農民戦争が起きている。

嗚呼 武器が農具じゃ「残念だけれど」 射程が短か過ぎた「残酷なほどに」

Sound Horizon. (2010). 黒き女将の宿 [Song]. On Märchen. KING RECORD.

この戦争、というか反乱は失敗に終わったとみなされている。
農民たちの権利と自由は縮小された上に、戦争中に農民が大量に死亡。生き残った農民にも懲罰による過酷な労働が強いられさらに死者を増やした。これにより労働力が不足し、その後の世代における経済発展に大打撃を与えた。

結論

娘が生まれたのは1520年代のシュヴァーベン地方。
貧しいながらも生きていたが、農民戦争の余波で口減らしの対象となり売り飛ばされ、そこで最終的に殺され、首吊り死体の姿になってしまった……。

というのが、この娘のざっくりとした人生のあらましだ。
時代に左右させられた庶民の生き様として、最後の首吊り云々はともかくとして、売り飛ばされるあたりまでは実際に経験した人物がいてもおかしくないだろう。

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更新履歴

2024/02/17 初稿

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