【SH考察:071】無慈悲なスペイン人征服者目線で語られるアステカ
Sound Horizonの楽曲の中で、音源化されておらずコンサート映像でのみ楽しめる曲のひとつ『海を渡った征服者達』。
これは明らかにスペイン人によるアステカ帝国の征服を、"スペイン人目線で"描いている。
史実と照らし合わせながら、その詳細を追ってみよう。
対象
未音源化曲『海を渡った征服者達』
考察
舞台
舞台はアステカ帝国。1428年頃~1521年まで、現メキシコあたりで栄えた国だ。
"帝国"の名の通り、単一国家ではなく3つの民族集団によって構成されている。
その中でも中心となったのがナワ族の集団メシカだ。
不吉な予兆
当時の王はモクテスマ2世。
(帝国なら皇帝では?とも思ったのだが、王と称されることの方が多いようだったため王と呼ぶ)
1500年頃、アステカには不吉な予兆が起きており、そのひとつが彗星だった。
占星術師はそれを厄災の予兆だと進言したものの、言い出しっぺを殺せば厄災は防げるという当時の理不尽な観念の犠牲となり、占星術師は餓死させられた。(死因には諸説ある)
神が帰還する年
ケツァルコアトルは、人間に文明を授けたとされる神。
もともとは、詳細な時代感が不明瞭なもののアステカの前にメキシコに存在したとされるトルテカ族が崇拝していた神だ。
後にアステカで神話に取り込まれ、アステカでも崇拝されるようになった。
ややこしいのが、トルテカにはケツァルコアトルと名乗った王、つまりただの人間がいたとされる。
そのため、「ケツァルコアトル」について触れている文献が、神について触れているのか人について触れているのかが紛らわしい。
神ケツァルコアトルは、白い鳥のような蛇のような姿をしているとされ、羽のある蛇の姿で描かれることが多いようだ。
ケツァルコアトルはテスカトリポカという神と対立していた。
ケツァルコアトルとテスカトリポカは世界を創る際に、どちらが太陽になるかその座を取り合って、5回も世界を創りなおしたとされる。
そして、テスカトリポカは人身御供を好んだが、ケツァルコアトルは好まなかったため人身御供を止めさせた結果、テスカトリポカの怒りを買ってアステカの地を追われたとされる。
だがこの人身御供に関する部分が、ケツァルコアトル"王"が人身御供を嫌ったことに由来しているのでは?とか、人身御供云々の話が神話に盛り込まれたのはアステカが滅んだあとでは?とか諸説ある。ややこしい。
ともかく、ケツァルコアトルはアステカを追われたため不在にしているが、暦上"一の葦の年"と呼ばれるときにアステカ(やトルテカがあった地)に帰還すると考えられていた。
(この"一の葦の年"とはどういう意味か?は余談であるため、本記事末尾におまけ的に書く)
そして偶然にも、"一の葦の年"はコルテスがアステカにやって来た年である1519年と一致していた。
エルナン・コルテス
エルナン・コルテスはスペインのコンキスタドール(アメリカ大陸の征服者)のひとり。
当時のスペインはレコンキスタが完了し、イスラム教から領土を取り返したゴリゴリのキリスト教国家。
アステカの土着神とは異なり、唯一神ヤハウェを信じる宗教観の持ち主ということだ。
一説によると、白人であるスペイン人、特に大勢を率いるコルテスを見て、"一の葦の年"でもあるし、モクテスマ2世は白い蛇の神であるケツァルコアトルが帰還した姿なのでは?と考え、スペイン人たちを丁重にもてなしたという話がある。
ただこの真意には議論の余地がある。
というのも、確かにコルテスがケツァルコアトルと見なされているという逸話は写本に残っている。
モクテスマ2世は母語であるナワトル語で、神への賛美のような内容を述べたとされる。
ただ、アステカでは礼儀正しく接することは同時に優位性を表すことでもあったため、つまりスペイン人に対してアステカの優位性を最大限に表していたのでは?もてなしたというよりは牽制したのでは?という説があるのだ。
日本でたまに、京都人に褒められているようでけなされているみたいな言い回しがネタにされることがあるが、それと似たようなものだろうか?
(「元気なお子さんやねぇ」が「うるさいから静かにさせろや」みたいな意味になるとかいうイケズな話)
そして、歌詞中ニュアンスがイマイチ読み取れないのが「稲妻」という表現。
「白き」は先ほど触れた通り、キリスト教国家スペインから送り込まれた白人という意味で良いと思うのだが、「稲妻」が何の比喩なのかが定かでない。
私の調べが甘いだけかもしれないため、わかったら追記する。
アステカの滅亡
様々な攻防の末、1521年にコルテスはアステカを滅ぼす。
財宝を略奪し都市を破壊したうえで、植民地を建設させた。
『海を渡った征服者達』はタイトル通り、征服者達つまりスペイン視点で話が進んでいる。
そのため、アステカが信じていた神は異教の神であり、その建造物は破壊対象として描かれた。
余談:"一の葦"とは何か
これは彼らが使っていた約52年で一周する暦に由来している。
この暦は260日からなる暦と365日からなる暦の組み合わせででできており、260日と365日の最小公倍数18980日=約52年で一周というわけだ。
このうち1年260日の暦ツォルキンは、1~13までの数字の周期と、日を表す語(日名)20日分の周期の組み合わせで表す。
最初は「1のワニ」「2の風」「3の家」...と進んでいくが、数字の方は13の次に1に戻るのに対し、日名は14個目以降もある。
よって、「13の葦」の次が「1のジャガー」「2のワシ」というように進んでいく。
そして、この日を表すルールの簡易版が、年を表すのにも使われた。
日名は20種類全部を使っていたが、年の場合は4つ「家」「ウサギ」「葦」「石刀」のみを使っていた。
つまり、このように「1の家の年」「2のウサギの年」「3の葦の年」「4の石刀の年」「5の家の年」...というように年を表していたということだ。
で、このルールで「1の葦の年」にあてはまるときに、ケツァルコアトルが帰還すると考えられていた、というわけだ。
結論
アステカ帝国の滅亡について、史実に沿った内容で描かれていることがわかる。
途中に諸説ある内容も含んでいたが、スペイン人側が記録したり主張する内容に沿っていること、「異教徒」など言葉の節々から、全体的にスペイン人目線であることもわかる。
ここでいうスペイン人は、さらに言うならばキリスト教目線だ。
レコンキスタ後、つまりキリスト教視点では領土を"取り返した"後、さらに拡大していく、いわば延長線にあたる活動がアメリカ大陸の征服だ。
そのため、『海を渡った征服者達』はキリスト教目線の話であるとも言える。
なおめっちゃくちゃ余談なのだが、"一の葦の年"の意味を調べるのが地味に大変だった。
どこかから無理矢理訳して諦めたんか?みたいな不自然な日本語だったり、説明が飛び飛びだったりなど。
この情報社会でなぜ……?
―――
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更新履歴
2023/12/16 初稿
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