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【SH考察:042】楽園への憧れと現実に叩き落される奈落

Sound Horizonの第四の地平線、Elysion~楽園幻想物語組曲~は、キリスト教色の強いヨーロッパ的世界観を背景にしつつ、節々に異なる宗教観が登場する。
そのブレの原因を探った。


対象

  • 4th Story Elysion~楽園幻想物語組曲~

考察

エリュシオン(Elysion)とエデン(Eden)

 2つの楽園
地平線の名に『Elysion』が入っているが、曲中もうひとつエデンという楽園も登場する。
この2つはどちらも楽園と表現されているが、宗教や伝承の背景にも位置づけにも違いがある。

――幾度となく『Eエリュシオン』が魅せる幻影 それは失ったはずの『Eエデン』の面影
嗚呼…その美しき不毛の世界は 幾つの幻想を疾らせてゆくのだろう――

Sound Horizon. (2005). エルの肖像 [Song]. On Elysion~楽園幻想物語組曲~. Bellwood Records.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

 エリュシオンとは
Elysionエリュシオンとはギリシャ神話に登場する死後の楽園
死後の世界であるのは冥府と同様だが、冥府は死んだ者が誰であれ。皆平等にただの影に成り果てて浮浪している場所。
エリュシオンは神に関係する者や英雄など、恵まれた者だけが入ることができる領域という位置づけ。

エリュシオンの所在には諸説あり、世界の西の果てにあるとされることもあれば、冥府同様に地下にあるとされることもある。

この曖昧さは、ギリシャ神話は一つの書物によって確立されたものではなく、あらゆる人物があらゆる解釈で書き起こしたり口伝し、さらに時代によって主流な・流行の解釈が変わったりもする物語であることに起因している。

エリュシオンの雰囲気的には、以下の動画が一般的イメージには近そう。
アサシンクリードオデッセイという古代ギリシャをテーマにしたゲームで登場する、エリュシオンのフィールドをゲーム内散歩という形で紹介・解説している動画だ。
花々が咲き誇るなか死者が住み、神や英雄がいるという設定で、エリュシオンの解釈といえばこれ、という雰囲気がつかみやすいと思う。

 キリスト教圏に見られるエリュシオンへの憧れ
エリュシオンはギリシャ神話的概念で、後にヨーロッパを駈け廻るキリスト教とは当然ながら考え方が違う。
だがキリスト教圏でもかつての神話、そしてギリシャ神話的な楽園への憧れや興味は持つようで、いたるところにその痕跡が残っている。

たとえばベートーヴェンの第九『歓喜の歌』には、歌詞としてドイツの詩人シラーによる詩を用いており、そこにエリュシオンが登場する。
(ちなみにこの曲、ローランにはご存じの通りだと思うが、Märchenの『宵闇の唄』中に引用されている)

Freude歓喜よ schöner美しい Götter神々のfunken光よ,
Tochter乙女よ aus Elysiumエリュシオンの

あとはフランスのシャンゼリゼ通りで有名な「シャンゼリゼ(Champs-Élysées)」も、エリュシオンÉlyséesの地Champsの意味。

図:凱旋門につながるシャンゼリゼ通り
出典:Sam Greenhalgh, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

 エデンとは
エデンとは旧約聖書に登場する楽園、理想郷のこと。
人類最初の男女アダムとイヴが蛇にそそのかされ、禁断の果実を食べてしまったことで、このエデンから追放されたという失楽園の話が有名だ。

図:ブリューゲル、ルーベンス合作『人間の堕落のあるエデンの園』1615年頃
左側でイヴが禁断の果実を取ってアダムに手渡している。その上の枝にイヴをそそのかした蛇が巻き付いている。
恥じらいは禁断の果実を食べることによって生まれた感情だったため、食べる前の二人はまだ恥じらいが無く全裸。
出典:Peter Paul Rubens, Public domain, via Wikimedia Commons

歌詞中の「失ったはずの『Eエデン』の面影」は、この失楽園を連想させる。
かつて生きていた人間によって失われた理想郷の面影が、死後の世界であり死んだ後に時分も行けるかもしれないエリュシオンから感じ取っている、と読み取ることができる。

それをふまえると、明らかに何らかの病気で衰弱しているエルが、父親に対して執拗に楽園について質問していた点が心苦しい。
父親である仮面の男からすると、娘を少しでも長生きさせるために犯罪にまで手を染めて金を工面していた。
しかし娘は死後の世界なら幸せになれるのか?と無邪気に聞いてくるのだ。生かしたい娘からそのように問われる父親の心境はどのようなものだったのだろうか。

――悪魔に
魂を売り渡すかのように 金になる事なら何でもやった
問うべきは手段では無い その男にとって目的こそが全て
切実な現実 彼には金が必要だった…

Sound Horizon. (2005). エルの天秤 [Song]. On Elysion~楽園幻想物語組曲~. Bellwood Records.

ねぇ…お父様パパ その楽園では体はもう痛くないの?
ねぇ…お父様パパ その楽園ではずっと一緒にいられるの?

Sound Horizon. (2005). エルの楽園[→side:E→] [Song]. On Elysion~楽園幻想物語組曲~. Bellwood Records.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

アビス(Abyss)と奈落

 アビスとは
Abyssアビス深淵を表す語。
ユダヤ教・キリスト教の聖書においては、死後の世界転じて地獄、つまり悪い死者が罰を受ける場所として扱われる場面がある。

 キリスト教とギリシャ神話における深淵
そして、ユダヤ教・キリスト教は紀元後に生まれた宗教であるため、紀元前からあるギリシャ神話的では「アビス」はなく、悪い死者が罰を受ける場所はタルタロス(ギリシャ神話における奈落、地下深いところ)と呼ぶ。

つまり、エリュシオンはギリシャ神話、アビスは聖書の中に登場するもので、異なる宗教観・世界観のもの。
サンホラの場合、一見すると第四の地平線でまるでエリュシオンとアビスが対になるもの、もしくはエリュシオンのさらに下・地下にアビスがあるかのように扱われているが、現実と照らし合わせるとこれは不自然に見える。

挟み込まれた四つの《楽園エル》に惑わされずに
垂直に堕ちれば其処は奈落アビス

Sound Horizon. (2005). エルの楽園[→side:A→] [Song]. On Elysion~楽園幻想物語組曲~. Bellwood Records.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

ここまでの話を整理すると、以下の表のように対比するには使っている言葉の宗教観がチグハグなのだ。

表:言葉の比較 結論(筆者作成)

なお調べた限り、タルタロスは奈落と表しても違和感がなさそうだが、アビスはあくまで深淵で、奈落と表現している参考資料はあまりない。
ただ奈落は地獄の意味なので、まぁ間違いとも言い難い。
ここはアビス≒奈落の違和感はないものと見なして話を進める。

なぜ第四の地平線の宗教観がブレているのか

 基本的にはキリスト教的世界観
仮説だが、仮面の男やパレードに参加する女性たちが生きている時代ではキリスト教が主な宗教として文化形成しているのだろう。

曲名で言うと、『エルの天秤』『Ark』『Baroque』『Yield』『Sacrifice』『Stardust』はヨーロッパ圏、キリスト教圏に見える。
『Yield』は曲中にはヒントがないものの、歌詞カード表紙では背景画像に十字架が見える。
他は聖書にあるワードが登場したり、露骨に教会が登場していたり、文化的にヨーロッパぽさがわかる。

 あまりにも露骨なギリシャ神話感ある演出
それに対して、楽園について触れている箇所は曖昧というか、現実味がない。
たとえば、最もギリシャ神話感がある曲は『エルの絵本【魔女とラフレンツェ】』だが、そもそもタイトルからして絵本と言っており、現実味のある事実の陳列に見えないようワンクッション置いている感じがある。

また、この曲で特にギリシャ神話感が強く感じられる理由の一つは、神話の中では比較的有名な人物であるオルフェウスエウリュディケが出てくることだろう。
ただ彼らはおそらくオルフェウスとエウリュディケそのものではなく、例えとして使われている気がしてならない。

やがてオルフェウス乙女エウリュディケの手を引いて 暗闇の階段を駈け上がって来る

Sound Horizon. (2005). エルの絵本【魔女とラフレンツェ】 [Song]. On Elysion~楽園幻想物語組曲~. Bellwood Records.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

オルフェウスは吟遊詩人で、エウリュディケはその妻。
彼女は蛇に噛まれて死に冥府に行ってしまったが、妻が恋しいオルフェウスは生きている身ながら冥府に行き、妻を連れ戻そうとする。
しかし、冥府を出るまで振り返って妻の姿を見てはならないという制約があったにもかかわらず、思わず振り返ってしまったため、二人は離れ離れになってしまった。
……という逸話が有名だ。

図:エウリュディケを冥界から連れ戻すオルフェウス
出典:Jean-Baptiste Camille Corot, Public domain, via Wikimedia Commons

そのため、この二人の名前を出すことで、非常に露骨なギリシャ神話感を出すことが出来る。

しかし一方で、オルドローズは現実でいうとドイツのあたりにあったであろう王国から逃げ延びた魔女アルテローゼで、彼女が拾い育てたラフレンツェは、その王国の娘である可能性が非常に高い。
要するにMärchenの『薔薇の塔で眠る姫君』のアルテローゼと、森に捨てられる運命の子のことだ。
(ドイツ語alte roseと英語old roseは同じ意味)

そうなると、オルドローズやラフレンツェはあくまでヨーロッパ世界でひっそりと生きていた人物。
他の曲と同じ文化圏であると言える。

 第四の地平線における楽園への憧れ
ここまでの話から、第四の地平線では、登場人物たちはあくまでもキリスト教的な文化背景のある世界観で生きているのだと考えることができる。
その中であえてギリシャ神話感、つまりキリスト教成立よりもはるか昔からあった世界観を持ち出している箇所は、その世界観への憧れを表しているのではないか。

具体的には、オルフェウスにたとえた部分は、愛しい存在のためにできることに努める姿の美化表現。
エルがしきりに楽園について問いかけ続けるのは、詳細がわからない異文化の、楽園と呼ばれる耳触りの良い概念への強い興味。

現実でも、前に述べた通り、ドイツの詩人シラーがエリュシオンを詩に用いたり、ベートーヴェンがその詩を歌詞として採用したり、フランスが大通りにエリュシオンの名をつけたり、古で語られた楽園という存在への憧れはあった。

結論

実際には存在しない、彼らの文化圏とは隔たれた"楽園"という曖昧なものを夢見て手を伸ばすが届かない…という虚しさやもどかしさを感じさせるような演出に見えた。

古に伝わる憧れの楽園を目指したものの、実際に辿りつくのはアビス。つまり彼らの文化や宗教観上の奈落。
まさに夢から現実に叩き落されたようなものだろう。

―――

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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。

更新履歴

2023/07/20
 初稿
2023/07/21
 歌詞引用表記修正
2023/04/03
 1つ目の章を「エリュシオン(Elysion)とエデン(Eden)」と改め、エデンに関する記述を大幅に追記。
2024/04/24
 一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記

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