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122. 年越し蕎麦と御節料理

何年か前のおせち料理の空き重箱にクリスマスツリーの飾りを収納する。量販店で買った飾りに加えて携帯のオマケや保険のアヒルまでもぶら下がっていた。違和感全く無かったのでぶら下げられる物なら何でも父がぶら下げたのだった。お疲れ様。また来年?いつも思う。また来年があるのかどうか。クリスマスにはこれが最後のクリスマスになるかも知れないと思い、大晦日にはこれが最後の大晦日になるかも知れないと思う。常にそんな思いが脳裏に浮かぶ。

飾りを外した擬似樅ノ木を何とか正月の松飾りにしようとしたが、バランス悪く場所を取り過ぎなので断念した。イケる発想だと思ったが、無理であったか。企画倒れ。使い回し断念。父はテレビのドラマに見入っていた。
カレンダーを取り替え、通院、デイケア、教会行事とヘルパー同行年始の日程を確認する。鏡餅と擬似松飾を設置し、雰囲気だけ正月。

父から珈琲店の店主夫妻に宜しくと伝言あり父宅を出て珈琲の飲み納めに行った。通路が除雪の山で塞がれていたので敷地をぐるりと迂回した。

抑鬱で精神状態がよろしくないので今年は何も作りたくないし食べたくも無い。父が利用している配食業者の正月料理を予約して今年は何も作らないつもりでいた。しかし申し込み用紙は私が手に取らないうちに新聞紙と一緒に廃棄されていたらしい。気づいたのは既に予約を締め切られた後だった。結局一から全部自分で作らねばならなくなった。食べたいものだけ作ればいいので経済的には安上がりである。旨煮作成に取り掛かった。

30日の夕方から旨煮を作り始め大晦日の明け方に完成させた。大晦日と元旦の2日間は私が仕事の休みを取ったのもあってヘルパーさん達には休んで貰ったので父宅には朝から誰も行かない。

大晦日の父の朝食は前夜ヘルパーさんが用意してくれているので昼食から私が用意する事になっていた。完成した旨煮を温め、きんぴらを炒め、茶筅茄子を作り、厚焼き玉子を二本焼いた。料理は重箱2セットに詰め、片方は母宅に届けたが外出中だった。メールで呼び出し、承諾を得て合鍵で玄関の中に置いた。その足で近所のスーパーに行き生蕎麦や餅など食材を買った。

店内で母とばったり鉢合わせした。買った生蕎麦を手渡して別れた。道路はざぶざぶに融け出して水溜りだらけ、しかも水溜りの底は氷である。タクシーを呼び、買い込んだ食材を乗せ私の自宅に寄って重箱に詰めた料理を取り、急ぎ父宅に向かった。もう13:00を過ぎていた。

父の昼食を早く作らなければ。

大晦日だし、昼食から年越し蕎麦にした。例年は私が十分な休日を取る事が出来ず、夜勤明けの大晦日とか夜勤入りとか明けの元旦も珍しくなかったので必ず自分で作ると決めている旨煮などの正月料理を作る以外、年越し蕎麦は贔屓の蕎麦屋に出前を頼んでいた。しかし今年は私に時間はあっても一食に出前を頼むほどの経済的な余裕が無く、生蕎麦を買って来た訳であるが、これは大変良かった。自分で蕎麦を茹で、蕎麦湯も楽しめるのと予想外に美味く出来たからだ。

大晦日の昼食には長芋を摩り下ろして冷たいとろろ蕎麦にした。自分でも感動するほどウマかった。父もしきりに「うまいうまい」と連発していた。昼食が1時間遅れたので余程空腹だったに違いない。今後は乾麺の蕎麦よりも生蕎麦を買って父に食べさせよう。冷たいのも温かいのも手早く簡単だ。長芋でとろろ蕎麦は美味だったが次回は大根おろしと刻み青じそを合わせ、納豆蕎麦を作ろう。

昼食後くつろいでいる父にこれまで見た事無かったキリスト教の映画を物色して『マルセリーノ・パンとぶどう酒』を持って来た。主人公の子供が可愛いと言って喜んで見ていた。父はマルセリーノに教会に来ている子供の誰彼を重ねているだろうか、自分の幼少時を重ねているだろうか。食い入るように画面に釘付けになっていた。私はその間に洗濯機を回し、食器を洗い、夕食の仕込みをする。

大晦日の夕食も年越し蕎麦だ。温かいかしわ蕎麦にした。昆布茶と少量のめんつゆで薄味にして、鶏肉と牛蒡と人参、しめじとエノキタケを入れ、薬味に刻み葱。 洗濯が終わり、かしわ蕎麦の仕込みが出来上がり、台所を片付けて、鉢植えの水遣りを済ませ、ヘルパーの日誌に目を通し、介護関係の書類や領収書の整理をし、昨年以前までの父宛てのはがき類をファイルに収納する。気がついたらマルセリーノの映画は終わって、ちあきなおみの昔の映像が画面に出ている。大晦日のBS歌番組はちあきなおみらしい。しみじみ、いい歌だ。ちあきなおみに聴き入る間にもう夕食の時間になっていた。

再び蕎麦を茹でてかしわ蕎麦を食べる。ウマい。鶏と牛蒡としめじ、一体何だったのだこれまで自分が金払って食べ歩いていた蕎麦は。

これからは自分でちゃんと料理作ろう。

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