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センスと心の動き

うぬぼれでは無く、自分の感性は悪くないという自負はある。ただ、何と比して悪くないと述べているのかと問われれば、感性は比べるモノじゃ無いと思っている。要するに自分の感性を気に入っている。最初からそう書けば良いのかも知れないけれど「自分の感性は悪くない」って言うフレーズが気に入っている。それも含めて自分の感性なんだと思う。

先日、「こどもの絵コバッグ展Vol.1」なる作品展に行ってきたんだけれど、良かったんですよね。とても。そこに訪れたことによって得られる喜びや幸福感。じんわりと心が温まる空間があったんです。飾られている作品が素晴らしいのは言うまでも無いことなんだけれど、その作品を配置するセンスが「秀逸」だとテンチョーは思ったんですよね。「飾る」ってセンスが問われる所作の一つだと思うんです。テンチョーには全くないんです。飾るセンス(T_T)。同じモノであっても、飾り方一つで伝わってくるメッセージって全く違うことになってしまうとテンチョーは考えています。そして、その日訪れた「絵コバッグ展」は、近年まれに見る(テンチョー的にですよ)鳥肌モノの作品展だったんですよ。まず、会場の入り口がよく分からない(笑) けれど、ちょっと戸惑った後に、思わず微笑んでしまう案内板が「こっちだよ」と来訪者に語りかけてくるんですよね。この演出がニクい(ノ><)ノ 公共性の高い美術館などでこれをやったら、クレームとか来ちゃうのかしら…などと要らぬ心配をしながら。会場となっている古民家を大きく回り込んだ裏手に入り口があるわけです。入り口手前に受付があって、先客と主催者が談笑をしている横を会釈と共に通り抜け、一歩室内に足を踏み入れた瞬間「来て良かった」って思える空間が目の前に拡がっているわけです(と言っても5~6坪くらいのスペースなのです)白い漆喰の壁に張り巡らされた、大きさも筆遣いも様々の表情豊かな絵が見る人の心を掴んで放さないんですよね。室内にいた女性が自然に「ホント良い絵ですよねぇ」と語りかけてくる。それに何の違和感も無く「良い絵ですよねぇ…」と返している自分がいる。もちろんその女性とは始めてお目に掛かったわけですが、一瞬にして空間を共有し共感していたんですよね。もちろん感じ方は人それぞれですから、彼女がどの様に感銘を受けているのかは存じませんが、心が揺り動かさるという一点でテンチョーとその女性は共鳴していたと思います。一つ一つの作品に感心したのはもちろんですが、テンチョーは作品の配置に舌を巻いてしまったのです。魅力的で様々なストーリーが垣間見えてくる数々の絵の中心に、ひときわ輝く一枚の絵。それは今回の作品展のきっかけとなる一匹の犬を中心に3名の人物が描かれた絵でした。躍動的で活き活きとしていて、当に目の前に存在しているかの如く、描かれている各々の感情まで見えてくる様な傑作。しかし、その絵だけではこの完成度は無いだろうなと思うんですよね。力強く訴えかけてくる様な絵は心を揺さぶると同時に心に衝撃を与えるんですよね。その絵を中心に周りに配置されている絵との絶妙な組み合わせが、この壁の完成度を完璧にしていると、テンチョーなんかは感動しちゃったわけです。

何と表現すれば良いのだろう。言葉を失った…と言うよりも、言葉が必要なかった。ずっとその空間を味わっていたいと思った。その作品を通して伝わってくる、作品の背景までも感じたい衝動にかられ、自然と胸に熱いモノがこみ上げてきた。予期せぬ感情の起伏に少々狼狽したのだけれど、他人のセンスに自分のセンスが共感した瞬間なんだろうと後になって思う。

自分のセンス悪くないと思う。けれど、別のセンスが存在しなければ、それは何の意味も持たない。共鳴したり反発したり、世の中が豊かであることは違うモノが共に存在し関わり合うことなのだと、改めて実感できる素晴らしい作品展だった。

作品展はもう終わっちゃったんだけどね(^^;)

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