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第117話:散髪

[子育ての記憶と記録]

この4月、息子が中学生になった。
別にそれはありふれた事実なのだが、何だか愕然としたものが胸をよぎる。自分が30歳を過ぎ40歳を越えたときにも確かにそれなりの衝撃はあったが、一方で「こんなもんか」という思いも胸の中には同居していた。

しかし、息子が中学生になったという事実には、何故か大いなるショックを感じている自分がいる。
中学生の親と言えば、それはもう筋金入りのオジサンである。その僕の中にある一般的なイメージと自分の像とが、僕の頭の中で全く一致しない。

「内面はオジサン化している」とカミさんは言うのだが、精神年齢は18歳くらいでストップしていて、老化などとは程遠く、悪く言っても清らかに中年化している程度である。
ただ思うのは、無限の可能性を信じる気持ちはとうに失せ、現実という棺桶に腰までどっぷりとつかって、もはやこの先に成長ということがありえないということであろうか。

一方の息子はバリバリ成長している。身長(167cm)も足の大きさ(26.5cm)も既にほとんど僕と同じになり、あっという間に追い越されそうな勢いである。「お父さん、最近縮んだんじゃない」なんて言われると悲しくなる。
あろうことか息子のお古が僕に回ってくるようになり、彼の名前が入った運動靴を履くことにもなっている。貧乏な我が家のこと、そのうち服なんかもどんどん回されて来るに違いない。
にきびがポツポツと出始め、顔立ちには幼さも残るが、真新しい学生服に身を包んで登校してゆく姿など、わが息子ながら何だかやけに精悍な感じがしたりもする。縮んでゆく親を尻目に、無限の可能性を秘めて、輝きに満ちていると言ったところだろうか。

さて、中学入学を控えた小学校6年の最後から彼は床屋に行くようになった。
そう言うと床屋にも行かせず雪男のようにボウボウと髪を伸ばしていたのかと怪訝に思われる方がおられるかもしれないが、実は、それまではずっと僕が切ってやっていた。
だから彼は11年と数ヶ月で3回しか床屋に行っていない。

3回しかないので3回とも良く覚えているのだが、一度目は0歳のとき。
生まれたまま伸び放題だったのを坊主にした。赤ん坊髪の毛はそうでなくてもボサボサなのだが、彼は頭のてっぺんに二つのツムジがあってウルトラマンのようにてんこが突っ立っていた。切った髪は細く金髪のようだった。
2度目は小学校3年頃。遠足の前日の夜、ふと見ると彼の額の上の部分がそこだけ切られて3cmくらいのハゲができていた。何を思ったか、自分で前髪を切って失敗したらしい。修復を試みたがどうにもならず、結局床屋に行って坊主になって帰ってきた。
3回目は5年生のとき。スポーツ刈りにしたいと言い出して、それは僕にはできないから床屋に行って来いということになったものである。
大雑把に11年間、2ヶ月に一度として66回。そのうち63回までを切ってやったことになる。
偉大な父親と言わねばならない。

自分で言うのもなんだが、僕は手先が器用でこういうことに関してはなかなかの才能をもっている。出来栄えがいいときには、思わずうっとりと見入ってしまうほどである。
しかし、カミさんはそうは思っていないようで、僕が息子の頭を切り始めると、いつも心配そうな顔をして眺めている。愛する息子が父親の自己満足のために変にされると思っているらしい。

無論、素人のやることであるから、粗雑ではある。
まず耳周りから襟足を適当な長さに切りそろえる。あとは適当な長さにはさみ上げながら、それこそジャカジャカと切るだけである。
まあ時々は虎刈りにもなる。まだらに段々ができ、時には一箇所だけがやけに薄くなったりもする。自分が床屋に行ったときはそのやり方を頭で感じて、これだと思った技を息子に試すのだが、そういう時は得てして失敗する。
髪の毛を強引に引っ張られた息子がうめき声を上げたり、耳をはさみで切って血が出たりすることも確かになかったとは言わない。しかし、5回に1回位くらいは成功するので、そういう小さなことにはこだわるべきではない。

彼はそれでも、耳や首を切られたときには痛烈な文句を言うが、僕に髪の毛を切られることや、その出来が恥ずかしいほど悪いことについてほとんど文句を言ったことがない。
それは恐らく父親である僕に対して限りない尊敬の念を抱いているからなのだろう。僕は僕で、そういう息子の頭を切ることで、文字どおり血の出るようなコミュニケーションを図ってきたのである。

そういう我が家の歴史を経てきたことを考えると、たかが息子が床屋に行くようになったという当然のことにも、それなりの感慨があるわけである。

子供が自分の手を離れて行くことは、それまでの時間や努力を考えると、それはそれで寂しいことではある。
田舎の小さな町、まだ蛍が出るような自然に囲まれて、息子は純朴で温かい少年に育ってきた。人にも恵まれ、雪の降った日、どんどん焼き、子供相撲、お祭り・・友達と犬っころのようにはしゃいで遊び回った。
このままこうした時間がずっと続けばいいと思うような瞬間を、何回も何回も彼からもらって僕らも一日一日を大事に生きてきたものである。

もし仮に人間が生きる意味を、新しいものを創ることだと言ってみると、そのためには古いものを壊されなけれぱならない。
母を否定しなければ恋は得られないように、父を否定して初めて自分の人生が見えるように、一度、自分を壊す勇気がなければ新しい自分を創ることはできない。創造は破壊なのである。
迂闊にも自分の子が思春期にさしかかって初めて、この逆説の力強い矛盾と、人に第二の誕生がある不思議さを、実感として感じたりしてみたのである。
彼はこの勇気をどんなふうに手に入れていくのだろうか。あとは楽しみに静かに見守っていきたい。

散髪と言えば、一回カミさんのを切ったことがある。
「切ってあげる」という僕の優しい誘いをカミさんはずっと頑なに拒否し続けてきたのだが、ある時、何を思ったか「切ってもらおうかな」というので、シメタ!と思いさっそくハサミを取り出して座らせた。
ところが、切ろうとすると「ひゃー」「ふえー」と叫んで、なかなか切らせようとしない。うるさくて仕方がない。一回ハサミを入れるたびに「きゃー」と叫んでは手鏡を覗きこんで変にされていないか確認する。全く非礼である。
結局5、6回ハサミを使っただけで、「もういい」と言ってきかないのであえなく終了となったが、息子の方がよっぽど我慢強い。
迷惑料として思わず散髪代を請求したい衝動に駆られるところである。

そう言えば、息子の63回の散髪は、仮に一回2500円とすると、なんと15万7千5百円にもなるではないか。なんとかこれをせしめる手はないだろうかと、あれやこれや考えあぐねる、僕という偉大な父親なのである。


■土竜のひとりごと:第117話

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