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安部政権が幕を閉じた

安倍政権がやっと、やっと、、、、幕を閉じた。
ずっとそれを望んでいたはずなのに、私には5%の安堵と95%の虚無感しかない。
国会中継は見るに耐えなかった。見えすいた嘘の連続。あまりにも酷いこじつけ、論理が破綻したなどという言葉すら使えないほどの絶望的な答弁。理想が地に落ち、誠実さが踏みにじられ、民主主義国家が壊れていく恐怖。政治家も官僚も、国会全体が醜い嘘に包まれた。
 コロナ禍が起こり、アベノマスクが配られ、ステイホームで抜け殻のようにペラペラと本をめくる動画が流れ、私は安倍晋三がただの軽い神輿でしかないことを知った。その神輿があまりにも軽いからこそ一同が起立をして、礼をするという儀式が必要となる。私はいつまでもアベノマスクをしている姿に哀れみを感じるようになった。
そういえば、最初に首相候補として取りざたされた時、「首相の器じゃない」と切り捨てた人がいた。それが正しかったのだと思う。学生時代の学友、それから一般企業に就職していたときの同僚も、口を揃えていうのは、「政治になんの興味もない人物」であるということ、ゼミの授業ですらなんの発言もしなかったらしい。
 なぜ、この人が首相になったのだろう。どうしてこの人を首相にしようという動きが起こったのだろう。むしろその力学こそが問題になる。
桜の会の追求が強まった時安倍首相が言ったらしい。「どうして自分だけが追求されるのか」と。そうなんだ、私たちの税金で暴利を貪り、その立場を利用し、権威を得ているのは取り巻きなんだ。
安倍晋三は何をしたかったのだろう。人は今を生きるだけの存在ではない。今と同時に過去を生き未来を生きる。時々過去が悲鳴を上げる。今の自分が苦しみを抱える。未来が不安を訴える。私は過去の自分を抱きしめる。あなたが欲しかったことをしてあげるよと声をかける。
安倍首相がしがみついていた総理の椅子は、総理になることを期待され、それに見合う人物ではないと言われ続けていた晋三少年への愛だったのだろうか。
今、政界は新たな神輿を探している。自分の利益をこれからも貪ることのできる神輿を。
まだまだ戦いは続く。安部首相をはじめ、この7年間の不正に関わった人たち全ての罪はきちんと明らかにされないといけない。そうじゃないと日本に未来はない。
だって、私がもしも総理になったなら、私は自分と自分の家族、友人のために多くの利益を貪るだろう。慣れればそれが当たり前になる。きっと多くの人はそうなっていくのではないだろうか。だからこそ国民の厳しい監視の目が必要になる。公文書の正確さと透明性が必要になる。

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