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良かれと思ってやることのリスク

なにをするにしても、年齢、性別とかで区分けされてしまうから区別することに対して疑問は持たなかったけれども、ひととかかわっていると年齢って関係ないよねって思うようになりました。成長段階の子供たちもそう。話の合う人、フィーリングの合う人、センスが合う人などは年齢も性別も超えてきます。これはおそらく今の年齢だから特に感じられることなのかもしれません。ちょうど人生の分岐点、半ばだから。

私は自己紹介が今でも苦手なのだけど、もうそんなことは言っていられないので、自己紹介の分類をなにか別なものに置き換えてみようかと思っています。自分がどんな人間なのか、何が好きなのか。マイナスのことは最初には伝えなくてもいい。だから、自己紹介が苦手なんてことは特に触れなくていい。これは単純にポジティブシンキングしろという意味ではなくて、自分が損をしないために、そして周囲が嫌な気持ちにならないワードを発することを心がけたいという意味です。自己紹介苦手サークルの人たちと一緒にいるときは自己紹介苦手です、って言ってもいいかもしれないけど、そうじゃない場合は別に得することはない、ということ。損得じゃないかもしれないけど、良い空気を生み出さないものは避けた方がいいかなって思ってきました。

時と現場によってパターンを決めておいてもいいかもしれません。
一般の自己紹介では名前を言って、「猫と散歩が好きです、猫を一匹飼っています。猫の名前は緑川夫人といいます。名前の由来が気になる人は声をかけてください。」これで十分で余計なことを付け足さなくっていいと思います。
お仕事の現場では「俳優と演劇を作っています。声をかけられたら出演もするし、場所を固定せずにいろんなところで公演しています」
あとは、興味があれば聞いてくるので会話をつなげたらよいんじゃないかなと。
子供向けには「舞台に立ったり演劇をつくったりしています。好きなものは猫と散歩と本を読むことです」
これで良いかなって思います。子供とはあとはこちらから聞き出して観察することが大切かなと思います。

サービス精神といってしまえば良いようにも思えるけど「良かれと思って」やることにはどうもリスクもあるみたいです。
大阪でいた時に地下鉄などで乗り放題チケットを使わなくなった時点で誰かに渡すということをやっているのは大阪の良い文化だと思っていたのだけど、その話をしたら「ダメだね」って返されてびっくりしたことがありました。そうか、規則的にはダメなのか、たしかにみしらぬ人に渡すのもリスクだし、でも私は今でもそれは悪いことだとは思っていなくて。リスクを取りがちなのがサービス精神です。

結局、距離感のはなしになるのかもしれないけど、必要以上に情報を伝えすぎるっていうのも相手にとって負担になることなのかもしれないなと思った次第なのです。つながる相手とは放っておいても繋がるし、信じられる人はずっと信じられるし、それにはタイミングもあるし、お互いの事情もあるしで、今じゃないのかもしれないだけで、長い目でお付き合いすることって大切だなって思っています。そうか、長いお付き合いをしてみたいなって思う人が最近増えてきたのかもしれないなと思います。でもその時だけにつながるわけじゃなくて、ずっとお付き合いしていきたい。そういう人がいた方が人生楽しくなるかなって思います。




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