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似たもの同士で伸びること
よいところを見つけるのが得意だった。過去形にしてしまったのは最近誰かを客観的に眺めているからだと思う。ひとのよいところはみつけられるとおもっていたのだけど、もしかしたらそれは自分の欠けているところを持つひとにだけ反応していたのかもしれない。ようするにコンプレックスの反射能力だ。自分は言葉がつたなかったり、攻撃的な口調になってしまったりする。それができている(とおもう)人に対して足りないところをすごいと勝手に評価する。あの人とは違うからと、努力することを諦める。ああなりたい、という学びの姿勢とは異なって、「どうせ」いう逃げる言い訳にしていたんじゃないのかなって思う。よくない。
がむしゃらに頑張るとかって悪くない。一生懸命とか真面目とか悪くない。
悪くないのに、自分ではなかなか改善できないから、無駄なものとか思うようになってきていた。
もっと、一生懸命だったし諦めも悪かった。効率など無視して、何度もできないシーンを繰り返し練習していた。そういうシンプルなことが出来なくなっている。
そして、そんなことやっても無駄という評価をされてしまうことが重なっていたのでその価値さえ忘れてしまっていた。
効率のよい練習が良いなんて誰が決めたルールなんだろう。練習は反復だし継続だ。過程をすっとばして結果に辿り着けるほど自分は器用じゃない。
器用に見える人は、器用に成るよう練習している。見せないだけ。
目の前の輝いている人と似ていない、私は違うという言い訳で一線を引いていたのはわたしの方だった。
舞台芸術に勤しんでいる人とカテゴライズしたら、そんな人はマイノリティの極みで似たもの同士。その世界にいるというだけで共通していることは山ほどあるし、学びとれることはたくさんある。身近にいるひとから、遠くで名前が売れている人までさほど違いはない。身近にいる人がどれだけ貴重か。違いを認めるということになんだか躍起になっていたし、そういう風潮だけど、自分にもあって、相手にもある美しさにもう少し目を向けたい。相手の良さを学んで、自分の中にも取り入れる。
そうできるように切り替えよう。
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