サンクチュアリとファブル

サンクチュアリを観て、ああ、こういう世界の嫌いじゃなかったっておもいだした。そのあともファブルを見直して、人の身体を鍛え抜くことと生きることがつながっているんだなって思った。頭脳と経済で生き抜くことが正義とされている世界で、そうじゃないところを極めた人たちの世界。生きている以上お金と頭に振り回されてしまうけど、そうじゃないところで地味に地を這うような力を蓄えざるを得なかった人たちのはなし。
泥臭くて、不器用でかっこいい。
このカッコよさを描けるって単純に作品として素晴らしい。
どっちが正義でどっちが悪かわからなくなってしまう価値観の揺さぶりがある作品はいわゆる一般社会とか、公共性とかそういうものからはかけ離れているけれど、だからこそ訴えかけるものがある分野なんだろうって思う。

そして、この極限状態の世界とお伽話は似ているのかもしれない。
ファブル とサンクチュアリ。閉じられた空間の中でしか成立しない夢物語でもあり幻想でもある。
平和ボケしていて、目立たないで事なかれ主義で生きているわたしたちは、この世界にたどり着くことは決してできない。

「天才のもつ能力」とは、天から与えられたものだが、今の世界から光を浴びるものだけとは限らない。
人を殺す能力、暴力的な能力、人を苦しめる能力、いくらでもある。
持っている力を生かしなさい、といわれてもこの人たちの能力が活かせる場はどこにあるんだろうと思う。例えば戦場であったら有益な能力となり得るのだろうか。
わたしのような平凡な人間にはその世界は覗くことはできないけど、ない方が幸せな才能を持ち合わせてしまった人の葛藤は決して誰に理解されることもない孤独な世界なのだろうと思う。

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