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ペンギンとクレヨンと真っ白な紙

真っ白な紙をながめていると、まずはぽかんとしてしまう。
ぽかんと眺めながらペンやクレヨンを持つ。
思い浮かんでないまま描き始める。この文章を書いている時も全く同じだ。
何から始めるか、と言うことについて考えている。
しかしいつも、どこに向かうかは決めていない。この瞬間just nowも、どこに向かっているのか分からない。
紙の上に線を描く時にも同じことだ。思考が追いつかないように、身体が先に動くようにまずは線を走らせる。思考をなぞるように描くと、生きた線にはならない。何も考えない。ただ線を描くことに何の意味があるのかなんてわからない。だけど、そういうことで心と脳みそが整理されいる感覚になる。自分のことは自分が一番わかっていなきゃいけないということも、プレッシャーになる。自分のことは自分がわかってないって言うことだってある。誰かのなかにある自分が一番自分らしいってこともあるかもしれない。
だけどやっぱり、自分の見えている自分が、自分の世界にちがいない。

そう言っている間に、先ほど真っ白だったこのページに文字が増えてきた。
隣に置いてあるipadからはペンギンハイウェイが流れている。なんだこれ、とても面白い。世界には現実が沢山ある。ひとによって現実や事実も異なる。それは人の認識が人によって違うからだ。目に映る海の色が隣にいるだれかと全く同じ色だなんてどうやって証明できるんだろう。
ひとつひとつ違うものをみて、全く違うものを食べて人は生きている。
だれもがみんな違うのに、なぜ同じものとして扱うことができるのか、これまで扱うことができたのか。もう私にはわからない。

ぽかんと眺めているものも、ただ動けば空間は埋まる。そこに特別な思考や意図やメッセージなどなくてもかまわない。そして、埋まった空間そのものが正解で、そこに間違いなど生まれる余地はない。


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