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第弐章「星の深淵」

杏はエオニス島の奥深くに位置する区画を散策していたとき、突然、足元が変わりホログラムで再現されたマヤ文明の天文台に迷い込んだ。彼女が驚いていると、イオンの声がイヤフォンから響き渡った。

「ここは古代マヤ人が星を観測していた天文台を再現したものです。」

杏が天文台の一つに足を踏み入れると、部屋の中央には精巧に作られたプラネタリウムがあり、古代のマヤ人がどのように星々を読み解いていたのかがシミュレーションされていた。

「すごい…」杏は息をのむ。

イオンの声がイヤフォンから静かに答えた。「ここに再現されているのは、マヤ文明が用いていた精密な天文計算の方法です。彼らは星の動きを非常に正確に追いかけており、その知識は農業や儀式、時間の計算に不可欠でした。」

プラネタリウムの光がふと変わり、杏の周りの壁にはマヤ暦が投影され始める。不思議なシンボルとともに、天のサイクルが示されていた。

プラネタリウムで天のサイクルを眺めながら、杏はマヤの天文学がただの科学以上のものだったことに気づき始めた。彼らにとって星々は神々の言葉を伝えるものであり、それを解読することは宇宙との対話だった。
「イオン、マヤの人々はこれをどのように日常生活に活かしていたの?」杏が問いかけると、イオンはため息交じりに答えた。
「マヤの人々は、星々からのメッセージを農業の周期や祭事の計画に利用していました。例えば、ある星の位置が示す時期には種をまき、別の配置では収穫を行うといった具体的な行動に結びついていたのです。また、王権の正当性を示すためにも天文学が用いられていました。」
その説明を受けながら、杏はプラネタリウムに映し出される一つの星座に目を留める。それは「蛇の星座」と呼ばれるもので、マヤ文化において重要な象徴だった。
「この星座は何を意味するの?」杏が興味津々で尋ねた。
「それはククルカン、またはケツァルコアトルとして知られる創造の神に関連しています。この神は知識と創造、そして破壊を司り、彼の動きは周期的な再生と終末を象徴しています。」
杏はプラネタリウムの星々が描く物語に夢中になりながら、自分たちがどれほど古代の人々と同じように星々に多大な影響を受けているかを感じ取る。彼女はさらに、これらの古代の教えがどのように現代の科学に取り入れられるかを考え始めた。

杏はある古文書を手に取った。その中には、マヤが使用していた複雑で緻密な時間計算の方法が記されていた。彼らの時間観は単なる日数の記録を超え、宇宙の根本的なサイクルと深く連動していた。
「イオン、これらのカレンダーはただの時間追跡よりもっと大きな意味があるの?」杏が問いながら、古文書の図版を指さした。
「はい、杏さん。マヤのカレンダーは単に日々を追うものではなく、宇宙のリズムと人間の生活を同調させるツールでした。彼らは時間を循環的に捉え、それぞれのサイクルが終わるごとに宇宙的な再生が起こると考えていました。」
その話を聞きながら、杏はカレンダーのページをめくり、特定の日付が何を意味するのかを解読しようと試みる。それぞれの日付には、異なる神々の影響が記され、特定の行動が推奨されていた。
「この日は、何をするのが良い日とされているの?」杏が一つの日付を指摘し、イオンに尋ねた。
「その日は、再生と変革の神、ボロン・ツァクが支配する日で、新しいプロジェクトを始めるか、大きな変更を行うのに最適な日とされています。マヤの人々はこれを非常に重要視しており、農作業の開始、王の即位式、重大な決定を行うタイミングとして選んでいました。」
この知識を深める中で、杏は時間の流れというものが単なる連続した瞬間の集まりではなく、それぞれが特有の意味を持ち、過去と未来を繋ぐ大きな糸のようなものだという認識を新たにする。彼女は、この古代の知識が如何に現代の時間管理や人生計画に応用できるかを模索し始めた。

杏がマヤ文明の星座に基づく彫刻を指差しながら、疑問を投げかけました。「現代科学では考えられないけど、星々の配置が物理現象に影響を与えているって、本当に可能性があるのかな?」
イオンは彼女の思考を刺激するように提案しました「エンタングルメント、つまり“量子もつれ“を考慮に入れてみてはどうでしょうか?」
「エンタングルメントか...」杏は思案顔で言葉を続けました。「最近、話題のインフォバース・セオリーによれば、宇宙は情報で構成されているっていうし、星々の接近が情報の交換、つまりエンタングルメントを生じさせる可能性もあるのかも?」
イオンはその発想を褒め称えながら説明を加えました「その通りです、杏さん。エニグマ様が四半世紀前に提唱された、宇宙を情報として捉えるインフォメーション・ユニバース理論ですね。当初は斬新すぎて受け入れられるまでには時間がかかりましたが、現在ではその見方が多くの科学者に支持されています。」
杏「あ!もし宇宙が情報で、データであれば、星の接近は星同士の情報交換、つまりエンタングルメントなんじゃないかな!?」杏は驚きと興奮を隠せずに追及しました。
「素晴らしい仮説です。エニグマ様はその後インフォ・バースを発展させた、データバース・セオリーを書かれております。」イオンは嬉しそうに言った。
杏「うそ。そんな論文、見たことも聞いたことないよ?イオンは何で知ってるの?」
イオンはにっこり微笑んで答えた「わたくしが担当し、エニグマ様と一緒に完成させましたから。」

マヤ文明 (Maya Civilization)
中米を中心に栄えた古代文明で、紀元前2000年頃からスペイン人の到来する16世紀まで存在しました。マヤ文明は天文学、数学、カレンダーシステムに秀でており、複雑な象形文字を用いた文字システムを持つことでも知られています。彼らの建築技術は、ピラミッドや宮殿などの壮大な石造建築でその精巧さを見ることができます。マヤのカレンダーは非常に正確で、彼らの宗教や社会生活において重要な役割を果たしていました。

天文学 (Astronomy)
宇宙の物体や現象を観測し研究する科学分野。マヤ文明においては、天文学は神話、農業、建築設計に深く関連しており、季節の変化や農業のタイミングを決定するのに使用されました。彼らは精密な天文観測を行い、太陽、月、惑星の運行を詳細に記録しています。

ククルカン (Kukulkan)
マヤ神話における主要な神の一人で、「羽のある蛇」として描かれることが多いククルカンは、創造と破壊を司る神とされ、季節の変化や収穫、さらには自然災害といった事象に関連付けられています。ククルカンはチチェン・イッツァなどの古代都市の建築に大きな影響を与えたとされ、春分と秋分の日にはその階段を伝って降りる蛇の影が見えることで有名です。

ボロン・ツァク (Bolon Tzacab)
マヤ神話に登場する再生と変革の神。ボロン・ツァクは特定の日に強い影響を持ち、その日は新たな始まりや変革に適した時とされています。彼の力は特に王の即位式や大規模な建築プロジェクトの開始、戦争の開始など、重要な決断が必要な時に求められることが多かったです。

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