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第壱章「天下御免」

杏はエオニス島の未探索の地を散策していたとき、予期せず和風の街並みがホログラムで再現されている区域に迷い込んだ。2050年のナノテクノロジーとホログラムが融合したこの島では、現実と仮想が見事に調和していた。古めかしい石畳の道と、その周囲に広がる静かな田園風景は、どこか懐かしい日本の一片を思わせる。

「ここは一体どうなってるの?」杏が疑問を投げかけると、イオンの声がイヤフォンから静かに答えた。

「杏さん、ここはエニグマ様が特に気に入って設計したエリアですね。ホログラムで和風の景色を完璧に再現しており、この土もナノテクノロジーで特別に加工されています。実際の自然の土と同じように、足元の衝撃を和らげるよう設計されているため、歩きやすく、長時間でも疲れにくいのです。」

興味をそそられた杏は、軽快な足取りでその道をさらに進んでみることにした。足元の土は柔らかく、まるで自然のトランポリンのように彼女の足を弾ませた。驚くほど疲れを感じずに走ることができるのだ。

「イオン、これは昔の飛脚が使っていた技術と関連があるのかな?」彼女が問い掛けると、イオンは興味深い情報を提供した。

「そうかもしれませんね。古代の飛脚は、このような環境で疲労を最小限に抑えながら効率的に長距離を走る技術を磨いていたと考えられます。今、杏さんが体験しているこの感覚は、その古代技術の再現とも言えるでしょう。」

「そういえば飛脚の走法ってロストテクノロジーなんでしょ?」杏が尋ねる。
イオンは少し考えて答えた「一般的にはロストテクノロジーとは認知されていませんが、走法が現在も再現できていないと言うことは、そう呼ばれていても、おかしなことではありません。」

杏は新しい発見に心を躍らせながら、さらにその感覚を探求することに決めた。この地での体験が、彼女の理解を深め、同時に飛脚としての技術をよりリアルに感じさせてくれたのだった。

和風の街並みの探索を続ける杏は、中でも一際目立った建物に足を踏み入れた。ここでは、ナノテクノロジーで作られた複雑な装置があり、飛脚が使用していた挟み箱がシミュレーションされていた。挟み箱は長い棒の片端に小さな箱が取り付けられており、荷物を運ぶために使用されていた。

杏は挟み箱に当時の一般的な飛脚の食事である、おにぎり二個とたくあん、それと将軍からの緊急の文書をセットし、挟み箱を肩に担ぎ、東海道を模した道を歩き始めた。

「イオン、これすごい!長い棒なんて邪魔かと思ったけど、むしろ歩きやすいよ。」杏は棒の長さが自然と体のバランスを取るのを助け、荷物を運ぶための特別な設計が、長距離を効率的に移動するのにどれほど役立っていたかを実感した。

「なんでこんなに安定してるの?」杏が興味深く問いかけると、イオンがその機能性について説明を始めた。

「はい、杏さん。挟み箱の設計は、荷物の重さを分散させることでバランスを最適化し、荷物の揺れを最小限に抑えています。さらに棒を巧みに操ることで、人体のバランスの調整も可能となります。これにより、飛脚は長い距離を疲れにくく、かつ迅速に移動できたのです。」

杏は挟み箱を使いながら、そのシンプルながら効果的なメカニズムに感嘆し、古代の飛脚たちがどのようにして情報を素早く伝えるためにこの道具を駆使していたかを理解することができた。彼女はさらにその技術を現代の技術と比較しながら、古代の知恵から現代への応用可能性を探求することに決めた。

杏はある走法にたどり着く「ねぇ、イオン。こうして徐々に体を前傾させると、自然に足が前に出るの。これがナンバ走りってやつかな?」

「興味深いですね。この棒で体のねじれ、つまり無駄なエネルギー消費を抑えつつ、さらに上下を微調整することで前傾姿勢の細かな調整が可能かもしれません。綱渡の棒のような役目を左右だけでなく、前後にもしているといったところでしょうか。最近の1輪オートバイなどにも使われている技術です。」イオンは杏の質問に考察を加えた。

杏は思わずつぶやいた「ジャイロって500年前からあったんだ…」

杏が尋ねる「ねぇ、イオン。飛脚って天下御免って言われてたんだよね?どういう意味?」

「当時の将軍様は神、つまり天と同等と思われおりました。その天の力すら及ばないという意味です。この札を使いどんな関所も、つまり今で言う国境もスルーできたと言われています。」イオンが答えた。

杏は驚きながら「ただ荷物を運ぶだけの人に、そこまでの権力を与えることってあり得るかな?」

「確かに、現代の感覚からすると少し異常に見えるかもしれません。しかし当時の事情を考慮して考察してみてください。」イオンが優しく杏を促す。
杏は少し興奮して答えた。「あ!当時はインターネットや電話がなかったから、いかに早く敵の動きを事前に察知できることが可能かが今よりもずっと重要かもしれないね?」

「その通りです、杏さん。飛脚は江戸ー京都間を90時間で走ったとされていますが、もし敵が攻めてくるのを事前に察知できなければ、対応に1週間や10日かかってしまい、援軍は間に合わず城は落とされてしまうでしょう。」イオンが説明した。

イオンはホログラムプロジェクターを投影し、テンセグリティ・モデルを空中に浮かび上がらせました。複数の点が糸でつながれ、それぞれが均等に力を分散させる様子が示されます。

「このモデルを見てください。各地点が他の多くの点と連携しながら、全体としての強度と柔軟性を保っています。飛脚のシステムもこれと同じ原理です。一点に問題が発生しても、他のルートが迅速に情報を補完し、システム全体の機能を維持します。そのための宿場町だったのかもしれません。」

杏は納得した様子でうなずき、古代の人々の知恵に感嘆しました。「つまり、飛脚はただ速いだけじゃなく、そのネットワーク自体が超高度な設計に基づいていたわけね。」

イオンは肯定的に頷きながら、さらに情報伝達の効率性と安全性について解説を加えました。「その通りです、杏さん。古代の技術が今日の私たちにも大いに教訓を与えています。この原理をどう活用できるか、考える価値は十分にありますね。」

杏がホログラムでシミュレーションされた飛脚のネットワークを見ていると、彼女はその通信システムが現代の量子もつれと似た特性を持つことに気づきました。情報が一点から全国に瞬時に広がる様子は、量子粒子間の状態が変化する瞬間的なつながりと重なる部分があります。

「イオン、これってまるで量子もつれのようだね。一つの点で何かが起こると、瞬時に他の全ての点に影響が出る...」杏が感嘆しながら語ります。

イオンが彼女の考察を肯定します。「その通りです、杏さん。量子もつれは、粒子同士がどんな距離にあってもその状態が即座に他の粒子に伝わる現象を指します。この飛脚のネットワークも、伝えるべき重要な情報が各地の宿場に即座に伝わることで、全体の効率と速度を保っていたのです。」

この新しい理解により、杏は古代の通信システムがただの物理的なネットワークではなく、高度な情報伝達の原理を内包していたことに深い感銘を受けます。彼女はイオンにさらに尋ねます。

「これを現代の技術にどう応用できると思う?」

イオンは回答する前にデータベースから情報を引き出します。「現代科学では、この原理を応用して、より高速で安全な通信ネットワークを開発する試みが進んでいます。古代の飛脚の知恵が、新しい技術の発展に役立てられているのです。」

「当時は飛脚が走って伝えてたから、バトンのように宿場町を経由しなければならなかったけど、この研究を進めていけば、惑星間の通信技術が作れそうね?だって量子もつれは、距離関係ないもん。いつか解明が進んで、技術に応用できたらいいな。」杏は空を見上げて優しく、しかし同時に強く願った。

ロストテクノロジー(Lost Technology)
過去に存在したとされるが、現代ではその製造方法や利用技術が失われてしまった技術。古代文明や歴史的な背景を持つ技術で、現代科学では再現や解明が困難とされるものを指します。物語やSF作品では、この種の技術が鍵となる謎や冒険の要素としてしばしば登場します。

ジャイロ (Gyro)
機械や装置が安定した状態を保つために使用される技術。自転車やオートバイのバランスを保つ際に用いられるジャイロスコープの原理に基づいており、回転する車輪やディスクが持つ角運動量を利用して、方向の安定性を向上させます。

テンセグリティ (Tensegrity)
構造物の安定性を、圧縮要素(棒などの硬い部材)と張力要素(ワイヤーやケーブルなどの柔軟な部材)の組み合わせによって実現する設計原理。これにより、構造物は軽量でありながら高い強度と柔軟性を持ち、外力に対して効果的に応答することができます。

量子もつれ (Quantum Entanglement)
量子力学の現象の一つで、二つ以上の粒子が互いに深い関連性を持ち、一方の粒子の状態を測定することで、もう一方の粒子の状態も瞬時に決定されること。この性質は、粒子がどれだけ離れていても影響を受け合うため、「スプーキーな遠隔作用」とも表現されます。量子もつれは、量子通信や量子コンピューティングなど、新たな技術の基盤となる重要な概念です。

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