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【人生を我が侭に、在りのままに生きる】

つまるところ、私があれこれやる根っこにあるのはこのフレーズかなと最近改めて思います。

人からの評価はもとから気にしていない。
私の根底のあるのは「自分がやりたいと思ったことをやれるか」ということ。

小さい頃、何をするにもただ見守ってくれた祖母の存在。
私がやったことで成功しても失敗しても、特別持ち上げて褒めたり必要以上に貶めたりということをせず、やりたいようにやらせてくれた。

登園拒否、また小学校1年生は登校拒否、登校して教室に入っても泣き喚いて先生を困らせていた時でも「恥ずかしい」とか「ダメな子だ」なんて言わず、ただ、生かしてくれていた。

教育という言葉があるけど、子育てとは言うけど子教えとは言わない。というのを最近聞いて、納得したんだけど違いわかりますか?

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・教えるは、自分より外側の情報を与えること
・育てるは、内面を引き出して伸ばすこと
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あの小さい頃の経験が土台になっていて、私はそういう土壌を作っていきたいんだなって、それが活動の原点になっている。

例えば体。
自分の意思で動く体を維持するのは揉みほぐし。
例えばコミュニティ。
肩書きに関係なく、やりたいにチャレンジできる場所を提供するのは本拠地で。
例えば資質。
自分の性格を形どるもの、統計学から導き出される一つのシナリオがあって、自分が引っかかりやすいポイントやタイミングがわかれば回避したり自分を生かしたりできるのはマヤ暦・陰陽五行・宿曜で。

そんな風に、手段が沢山あって、それで誰かに「ありがとう」って言われるなんてこんなに幸せなことはないなと思う今日このごろです。

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人生は晴れた日の連続である。
いま現実で起こっているのは全て幻である。

・・・だけど、人間は完璧じゃないから、楽しい時ばかりじゃなくてネガティブになったり悲しくなったりする時もある。
晴ればっかりじゃなくてもいいじゃない?

だって、死に向かって生きるなんていう矛盾をやっているのだから、人生はそもそも間違ってるんだ。

うまくいなかったり、生きづらかったり。
生きるための改革を起こしながら、人間は生きている。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親