蒙を啓く
易に、山水蒙という卦がある。
大概「水」が入るものはネガティブな解釈が多いのだが、この蒙もそうだ。
蒙味(おろか)、蒙い(くらい)という文字が並ぶ。
しかしその蒙の中でも亨るべき道を通ることで中庸を得る。
これは教育にも通じている。
蒙を啓く、で啓蒙という。
蒙味(おろか)な五が賢明な二を求める。自ずと双方の気持ちが通じ合う。
これが、立場が逆転して再三同じことを筮する時、双方が潰れると言う。
それで、山水蒙の初爻、最初にあるのは「方を正すことがまず必要であり、懲戒こそ方を正す手段だ」という。
方は万物がその形体を力受けるのに整然とした法則性がある状態。
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教育が方に縛られているのは、この法則性でもって規律を正しているからなのかもしれない。
本当は啓かれるはずの蒙。
様々な啓蒙活動を見かけるが、さて、その水が大河へと繋がるのはどのくらいのものだろうか。
始めは細い流れでも、流れていくにつれて海に至る。
その勇気を見ては、自分の行動を勇ましく割り切り、自分を深くして徳を養うのだ。
茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親