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解決不能と思えるほどの深い心の傷を抱えている人たちへ

こんにちは、Soratoです。

今日も前回の続きです。

今は社交不安の人を対象に書いてますが、今回の記事は元々「トラウマ」の問題を扱うときにしようと思っていた話です。

社交不安に限らず、様々な心の問題を抱えている人にも参考にしてもらえると思います。

「何か心に大きな問題ごとを抱えていて、それを解決しないと前に進めないと途方にくれているものの、改善できる見込みがまったくない」

という方は、是非参考にしてください。

おさらい

前回の記事では、社交不安で人前でテンパってしまう人たちに対し、「人間関係を第一としない」というアドバイスをしました。

人付き合いの悩みって本当に難しく、様々な改善法に取り組んでも、「(人間関係を最重要項目と考え)うまくやらなければならない!」と考えれば考えるほど、相手の些細な反応が気になったり、自分のおかしな言動や挙動が気になったり、失敗したらどうしようという恐れも強まるので、前提となっている「人間関係が第一」という認識を見直したほうがいいという提案でしたね。

特に対人「不安」ではなく「恐怖」を感じるレベルまで問題をこじらせてしまっている人は一度試してみてほしい心がけです。

心理的安全性とは

と、端的にいうと「一旦、うまくやるのを諦めろ」というアドバイスですが、対人関係がうまくできなくて死ぬほど悩んでいる人たちに簡単に納得してもらえる話ではないと思うので、ひとつ参考になりそうな話をします。

皆さんは「心理的安全性」という言葉をご存じでしょうか?

経営や組織管理の分野で広く知られている心理学用語で、1999年にハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授が提唱したのがはじまりと言われています。

厳密には、「対人関係においてリスクある行動をとったとしても、チーム内が安全であるという気持ちがメンバー内で共有された状態」と定義されているようですが、難しい話ではなく、私たちが日常で経験している一般的なあるあるです。

例えば、病院で看護士が医師の投薬に疑問をもったとします。

目の前の患者の状態を考えたとき、投与量が多いような気がし、心配になったのです。

しかし、以前医師の処方に疑問を述べた時は、自分の勘違いで、医師には眉間にしわをよせながら「君はそんなこともわからないのか?」とあきれられた記憶が頭をよぎりました。

看護師はいくらか葛藤したものの、「また私が何か勘違いしてるのかな?」と余計な指摘はしないことにしました。

しかし、今回は医師のうっかりミスで、患者は様態が急変し、生死に関わる重大な問題に発展してしまいました。

もちろん、このケースにおいて、看護師に責任があるとはいえませんが、処方の段階で素直に疑問点を尋ねていれば、最悪のケースは防ぐことができたはずです。

私たちはこのような職場での意思疎通の問題を考えるとき、原因は心理的な葛藤(恐れ)に打ち勝ち、しっかり自己主張できない「個人の意思」にあると考えがちです。

しかし、エドモンドソン教授が目を付けたのは、もっと根本的な部分である、

「そもそも意見を自由に言えるような雰囲気でないことに問題があるんじゃない?」

という点です。

私たち人間は、例え些細な発言であっても、過去の苦い記憶が頭をよぎり、「わざわざ言うほどのことでもないだろう」と適当な理屈で納得し、片づけてしまうことがあります。激怒された記憶や軽んじられた記憶が代表格でしょうが、「上司に対して印象が悪くなるかもしれない」「同僚に陰で笑われるかもしれない」といった考えで口を閉ざしてしまうこともありますよね。

心理的安全性の観点でいうと、これら様々な葛藤が出てくるのは人として当たり前の反応であり、個人が打ち勝てるよう指導するのではなく、組織の雰囲気自体を変える必要があると考えるのです。

例えば、上記のケースでは、日頃から医師が部下(看護師)の指摘に対し、

「〇〇くん、これは□□ということを考えての処方だよ」

と、意図を明確に説明し、

「でも、疑問点を素直に言ってくれてありがとう。私も時にはミスをする可能性があるから、気になることがあったら今後も指摘してほしい」

という対応をしていれば、看護師は部下という弱い立場でも積極的に発言ができていたはずです。

ミスの報告にも心理的安全性が重要

これはミスの報告などでも同様で、職場で従業員がミスを報告しなかったことによって、後に大きな問題へと発展してしまうことはそう珍しいことではありません。

特に病院や航空会社といった人命に関わる場所では、例え些細なミスであっても即座の報告が必要なのは言うまでもないですね。

しかし、私たちは時に、些細なミスであっても、先ほどの「言いづらい指摘」同様、「相手の機嫌を損ねたくない」「恥をかきたくない」といった理由で隠したくなる衝動にかられます。仮に深刻な問題に発展する甚大なミスであっても、最悪失職の可能性もあると考えると、「どうにかしてごまかす方法はないか」という考えが頭をよぎってしまうことは人情として誰もが理解を示せるでしょう。

無論、多くの人はこのような考えが浮かんできても、最終的に自制心をもって正しい判断・行動を取ることができます。

ですが、あなたが仮に現場の責任者という立場であれば、ミスの隠蔽や無報告といった誤りを「個人の自制心」だけでゼロにできると考えるのは楽観的すぎると感じるのではないでしょうか?

ミスの報告においても、常日頃から看護師長といったリーダーらが、素直に報告した人に対し、

「その処置は最悪命にかかわる危険性もありうる。今後十分気を付けるように」

と厳重注意はしつつも、

「でも、素直に報告してくれてありがとう。みんなも聞いてくれ。ここはミスが許されない場所だから、徹底的に気を付けなければいけない。しかし、ミスを犯してしまった時は、例え些細なミスであっても〇〇くんのようにすぐに報告してくれることが一番大切なんだ。この姿勢は皆も見習うように」

と逆に即座に報告したことを認めてくれる職場であれば、間違ったときにすぐに報告しようと思えますよね?

他のあらゆるビジネスシーンでも

心理的安全性は他のあらゆるビジネスシーンにも関わっています。

例えば、新規プロジェクトの会議で、「何か提案があれば発言してほしい。突飛なアイデアでも構わないから失敗を恐れずどんどん挑戦してくれ」と言われても、失敗したら笑われたり、出世競争から脱落してしまいそうな空気の職場では失敗を恐れず挑戦なんてできるわけがないですし、突飛なアイデアも出てきません。

この問題においても、原因は、臆せず発言・行動できない「個人の意思」にあるように思えますが、そもそも失敗が許されず、自由な発言・行動ができない空気感があることが問題と考えるのです。

実際に心理的安全性に取り組んでいる組織では、私たちが「そこまでやる?」と思うくらい徹底的に失敗を恐れない空気づくりに取り組んでおり、例えば、グーグルの親会社アルファベットの社内独立部門として活動しているグーグルX(エックス)では、以下のような方策を実行し、賢く失敗する方法や、失敗することが組織で許される状況を作り出しています。

・とあるチームが、海水を低価格な燃料に変えるという革新的なプロジェクトに取り組んだものの、生産コストの問題と原油価格の下落を理由に打ち切りを決断した

→会社は失敗を責めるどころか、早々に見切りをつけたことを評価し、ボーナスも与えた(壮大で有意義な挑戦をしたことと、現実的に不可能なプロジェクトを打ち切ったことを評価した)

・従業員が提案した試作品がお蔵入りになっても、オフィスに展示されたり、年に一度開かれるパーティーで中止されたプロジェクトの推奨意見を聞く機会をつくり、試作品の自分にとっての意味を簡単に述べてもらうことで、従業員が全霊を傾けた試作品が日の目を見ずに終わっても、苦い思いをいくらか軽減できるよう努めている

Xでは、安心して失敗してもらうために全力を尽くしている。駄目だという証拠がそろったら、チームはさっさとプロジェクトを中止する。同僚からは拍手してもらえる。マネジャー、特に私からはハグとハイタッチだ。昇進もできる。プロジェクトを打ち切ったチームには、二人だけのチームであれ三〇人を超えるチームであれ、一人ひとりにボーナスが出る。

恐れのない組織 著 エイミー・C・エドモンドソン

私はこの概念を初めて聞いたとき、本当に問題の本質をついた素晴らしい発想だと思いました。

皆さんも、会社の上司に心理的安全性の本を叩きつけて説教してやりたいと思うくらい納得の話ではないでしょうか?(笑)

働いた経験がある人は、一度は上司に、「何でもっと早く報告しなかったんだ!」と激怒されたことがあると思いますが、

「お前がそうやってブチぎれるからやん(;´·ω·)」

という葛藤って誰もが抱く当たり前の反応であり、無視して話を進めていく方が非現実的で、これくらいしないと、(一部の強気な人たち以外は)失敗を恐れない挑戦もできないということです。

また、これらのことから、私たち人間は、

・一般に意志の弱さの問題だと思われ、軽視されている「葛藤」「恐れ」であっても、そう簡単に無視できるものではない

・みじめな思いをするのは誰でも嫌

・日々の習慣や行動を気持ちの力だけで変えようとするのは現実的に難しい(超重要)

ということが分かると思います。

失敗を恐れることだけが問題ではなく、失敗が許されない状況も問題

組織管理の記事ではないので心理的安全性の話はここまでとしますが、この概念は広く心の問題にも応用できると私は考えています。

私たちは、何か大きな心の問題を抱えている時に、「この問題が解決しない限り、私の人生は絶望だ」と考えてしまいがちです。

今、メインとして扱っている社交不安では、「人付き合いがうまくできないと私の人生は絶望だ」という考えで苦しくなっている人が多いでしょうが、他の心の問題でも同じような考えに悩まされている人は多いと思います。

しかし、問題を重要視(深刻視)すればするほど「うまくいかなかったらどうしよう」という恐れも強まり、心は「失敗するに違いない」という様々な証拠も見つけ出してきます。

そこで私が目をつけてほしいのが、失敗が怖くてがんじがらめになっている精神面の問題だけでなく、失敗が許されないような「状況」にもあるのではないかという点です。

トラウマの代表格であるレイプ被害で考えてみましょう。

会社でやりがいのある仕事を任せられ、忙しいながらも充実した生活を送っていたA子さんがいました。

A子さんは不運なことに、残業で深夜近くになった帰宅中にレイプ被害にあってしまいました。

当然、彼女は深い傷を負い、心はズタズタです。

心理的なショックの影響で体調を崩し、会社にもいけなくなり、休みの日も家に閉じこもりがちな生活となってしまいました。(大きな心の問題ほど、大抵、生活のありとあらゆる面が崩れます)

彼女は一生懸命元の自分を取り戻そうと奮闘しますが、どうしても「男性が怖い」という気持ちを拭い去ることができず、「もう、昔のような自分に戻れることはない」と絶望的な気持ちになってしまいました。

彼女のような状況に置かれたとき、根付いた恐怖の記憶を消し去ることばかりに意識がいってしまうのは人として当然の反応ですが、現実的に深い心の傷を跡形もなく消し去ってくれる方法なんてそうそう見つかるものではありませんし、傷が癒えるには相応の時間が必要になることもあります。

彼女にとってのベストの回復像は、

「男性への恐怖心が消える→元の生活を取り戻す」

であることは言うまでもありませんが、あまりにもその回復像にこだわりすぎたり、それ以外の回復の仕方なんてありえないという考えにまで至ってしまうと、一生新たな人生が始まらない可能性もあります。

私がこのような完全に行き詰ったと感じている人たちに一度目を向けて欲しいのが、自分が今置かれている「状況」です。

彼女の今置かれている状況は

・会社にいけず仕事もできていない

・休みの日も家に閉じこもりがち

・まったく生活に楽しみがない

というあまりにも過酷なものであり、こんなハードな環境で解決不能と思える大きな心の傷に向き合うのは非常に困難なことだと思いませんか?

もちろん、辛い経験をして、「男性への恐怖心」が植えついたことでこれらの状況が引き起こされたことは間違いありません。

ですが、「男性への恐怖心」を完全に克服はできなくても日常生活や休日の過ごし方といった他の分野は少し改善ができるはずです。

私は彼女に「男性への恐怖心」という大きな問題を解決することを諦めろとは決していいませんが、一旦、その問題は『保留』として、

・(男性への恐怖心は消えず不信感は抱えながらも)無理のない範囲で、仕事を少し再開できるようになった

・(男性への恐怖心は消えず不信感は抱えながらも)休日は友達や家族と遊びにいったり、趣味や憩いの時間が増えた

という新たな環境下で、もう一度問題と向き合ってみる方が、少し余裕を持って向き合えるようになると思いますし、良い方向へ進む可能性も高くなると思います。

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※私はこの話が、言うほど簡単でないことはわかっています。しかし、私自身も、精神の病を抱え、生活苦に苦しみ、誰一人頼れる人がいないという絶望的な状況から這い上がってきた身として、とりあえず、『今の自分でもできそうな』他の分野を改善・充実させることによって、大きな心の問題に少し余裕を持って取り組むことができるようになる一面があるということは、是非心に留めて置いてほしいと思います

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社交不安への応用

最後にメインで扱っている社交不安への応用も記しておきますね。

おそらく社交不安の人の多くは、人間関係の改善が日々の最重要項目となっており、一日中人間関係の悩みを解決することで頭がいっぱいだと思いますが、それは裏を返すと、「人間関係がうまくできないと私の人生は絶望だ」ということも意味します。

そのような状態で余裕をもって人と接するのは難しいと思うので、人間関係以外の部分で人生を充実させる方法を模索してみるのも有効なひとつの解決策になるのではないかと思います。

今の状況で問題をほっぽり出すのは勇気のいることだと思いますが、人付き合い以外の人生の軸が何もない状態で苦手場面(というより人によってはトラウマ場面)と向き合い続けるのと、人付き合い以外の「何か」が自分の人生の軸にある状態で向き合うのとではどちらがうまくいきそうかを考えると、そこまで突飛な提案でないということは十分わかっていただけるでしょう。

※実際に何をすればいいのかは人によって違うので一概にはいえません。私は、趣味を充実させ(eスポーツ)、特技を磨き(読書)、ブログでアウトプットすることで(このnoteではありません)人間関係以外の軸を作っていきましたが、私に合っていただけだと思います。ただし、『今の状態の自分でもできそうなこと』から人生を立て直していくという発想は絶望的な状況に陥っている多くの人の参考になると思います

私も元々対人恐怖の気質がある人間なので分かりますが、社交不安の人ってとにかく「考えすぎ」なので、一生懸命問題と向き合い続けても、考えて、考えて、考え続けて更に悩みが深まっていくばかりだと思います。

私は苦手場面と対峙するエクスポージャーというやり方を否定はしませんし、むしろ、回復には必ず必要になってくる要素だと思っています。

しかし、心の準備がまったくできてない人を無理矢理動かそうとすることは賛成できませんし、(かつての私のように)心の悲鳴を無視し、無理やり突っ込んでいってもっと傷口を広げてしまうケースもあります。

特に、重症化していいて、まったく治せる気がしないという人ほど、『今の自分でもできそうな』他の分野を充実させていくことから人生を立て直すきっかけをつくっていくという方法も検討してみてください。

私も様々な精神医療の技法は知っていますが、未だに人前で不安が暴発した時は、「まあ、いいや。私は他で頑張ればいい」と言い聞かせるほうがよっぽど効くんですよね。

人間の精神力には限界があるので、「仮に失敗してもなんとかなる」「すべてが終わりになるわけじゃない」という後ろ盾を作ってあげることも、苦手場面と向き合えるようになるための重要な秘訣だと思います。

補足

・社交不安にも様々なパターンがありますが、今回の記事は全般型、且つ、心に深い傷を抱えている人を対象に書きました。

・社交不安とPTSDは違いますので、もし、PTSDの人が見ていたら、社交不安の話は参考程度にしてください。トラウマは、いずれ、ひとつのテーマとして詳細に取り扱う予定です。

・私の心の傷は「人に対する不信感」ですが、私も未だに完全に傷が癒えたわけではありません。今でも人との親密な関係は意図的に避けてる部分があります。ですが、最低限の日常生活は営めていますし、(自分一人でも)やりたいことや楽しい時間があるので思い悩むことはほとんどありません。心境的には、「いずれ傷が完全に癒えるときがくるのかもしれないけど、別に今じゃなくてもいいや」という感じです。

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