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没後50年 福田平八郎
幾重もの歪んだ青い線が並んだだけの、その白いキャンバスがわたしの心にぶっ刺さった。
「ぶっ刺さる」だなんて耳障りの悪い言葉は、その瞬間までわたしの辞書には載っていなかったはずなのに。
この展示に行くまで福田平八郎さんのことは、何も知らなかった。
あまり興味もなかった。
なんならその上階で行われていたモネ展に二度も行ったので、受付がガラガラな福田平八郎展は横目で見ていた。
東京を出て早二ヶ月。
東京には大好きな上野があった。
上野に行けば、どこかしらの美術館で何かしらの展示がやっていて、とても好きな地だった。
1展示でだいぶ体力を持っていかれるのに、欲張って2展示も巡った日もあった。
なのに、関西には関西には美術館が少ない……と文句ブーブー垂れながら、仕方なく選んだ横目で見てた福田平八郎展(その後、関西にもたくさん美術館はあって、東京の主要な展示は関西でも行われると学ぶ)。
ぶっ刺さった。
例の如くオーディオガイドを借りた。
没後50年の福田平八郎さんの画は、わたしが大好きな現代美術だった。
全ての表現が新しく、可愛らしく、美しかった。
有名な『漣』はその時代には斬新すぎて、始めは理解されなかったらしい。
Xなんてあったのならきっと「炎上」ぐらいはしていたのかもしれない。
対象物を細部まで観察し、ありのままに描く手法だった福田平八郎さんによって漣はあの曲線で表現された。
なんてその水面は輝いていたのだろう。
『水』もとても好きだった。
カラフルな水面に溢れる波紋が可愛らしくて綺麗だった。
『雨』は、降り注ぐ雨を描かず、降り注がれた雨により屋根に描かれた雨粒がどうしても雨だった。
福田平八郎さんの目を通して世界を見てみたい。
カラフルな筍は、「よく目にする筍のそれ」にはどうしても見えなかったらしい。
だから自分が見たままを描いたといった筍は色とりどりで一本一本がきっとその瞬間の世界の光や影を取り込んでいた。
変わってゆく表現方法が愛おしくなった。
自由な色使いにどきどきした。
写生帖には福田平八郎さんの全てがつまっていて、ほしくなってしまったけれど、残念ながら複写もなかった。
その代わりたくさんのお土産を買ってしまった。
前期と後期で分かれていたので、見られなかった作品も多い。
大分に行った際にはぜひ大分県立美術館に訪れたいと思う。
予想外の大ファンになってしまった。
ああ、嬉しい。
今、携帯とパソコンの待ち受け画面は一番ささった『水』にしている。
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