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あなたが誕生日に冷めているたった一つの理由

「俺、誕生日とかあんま興味ないんだよね」

「生まれただけの日を祝うとか、正直イミわかんないわ」

あなたの周りに、こんなアマノジャクな方はいませんか?

彼らは誕生日に対してなぜか否定的で、興味がないと言い張ります。

そんな彼らを、

「なんだか、冷めた人なんだね」

と片付けてしまうこともできます。実際そうですから(笑)。

でもここで、この記事ではもう一歩踏み込んでみたいと思います。

踏み込んでみるとはつまり、

「誕生日に興味を示さない彼らは、興味がないフリをせざるをえない構造的な理由がある」

という風に捉え、彼らの深層心理では何が起きているのかを観てみよう、ということです!

早速実例をみながら、考察していきたいと思います。


誕生日になんて興味ない!

今回もまた、ぼくの友人の話をしましょう。

S君は、物心ついた時から誕生日に対して冷めた考え方をしていました。

いや、どちらかというと、冷めているフリをしていた、という方が正確かもしれません。

「俺、誕生日とかあんま興味ないんだよね」

「生まれただけの日を祝うとか、正直イミわかんないわ」

誕生日のイベントがあるたびにそんなことを考えています。

そんなS君は、親や友達に誕生日を祝ってもらっても、素直に喜ぶことができません。

「いやー、ただ生まれただけの日を祝われるってなんなんだろう。。」

S君にとって誕生日を祝われることは、嬉しいどころか、どこかモヤモヤが残るようなイベントでした。

でも振り返ると、心のどこかでは、

「もっとたくさんの友達や家族に、心から誕生日を祝ってもらいたいなぁ」

「誕生日を祝ってもらえることを、もっと素直に受け取って喜びたいなぁ」

といった想いがいつもどこかにあったそうです。

だけど、やはりそれは自分には叶うはずのない幻想だと、心のどこかで諦めに近いものをもっている。

だからこそ、誕生日に興味がないフリをしてきたのかもしれない。

S君はそんな風に語ってくれました。


根本にあるのは「人に興味を持ってもらえないこと」への怖れ

さて、S君が誕生日に興味がないフリをしてきたのはなぜなのでしょうか?

「彼は単に冷めた人だったんだね」

「祝ってもらえる友達が少なかったからひねくれちゃったのかな?」

最初に浮かんでくる答えはこんな感じでしょうか?

たしかに、どちらも間違っていないと思います。

しかし、これを例のごとく無意識から紐解くと、S君の一連の言動が構造的に理解できるようになるのです。

はて、それはどういうことなのかというと、

S君が誕生日に興味がないフリをしているのは、

「彼が人は誕生日を心から祝ってくれないものだ、と思い込んでいるから」

であり、より根本的には、

「人はありのままの、何もしていない自分には興味を持ってくれない、という信念(≒思い込み)を持っているから」

であると、ぼくは確信しています。

彼には過去のどこかのタイミングで、ありのままの自分に興味を持ってもらえなかった、という経験があったのでしょう。

だからこそ、このような「信念(≒思い込み)」を持つことになった。

そして、ありのままの自分には興味を持ってもらえないという「痛み」を、もう二度と経験しないために、誕生日にも興味がないフリをして傷つかないようにしている。

これが無意識構造から紐解いた時に導き出される結論です。


誕生日の祝福は「存在承認」の儀式

そもそも、誕生日とは一体どのようなものでしょうか?

何を今さらと思うかもしれませんが、誕生日とはその人がこの世に生を受けた日のことですよね。

そして、誕生日を祝うということは、その人がこの世に生を受けた日を祝うということです。

これはつまり、その人がこの世に生を受けたこと自体を祝う、ということとほぼ同義だと言えるのではないでしょうか?

つまり、誕生日を祝うということは、究極的には「存在承認の儀式」なのです。

存在承認とは、人の存在自体に価値を見出し、受け止めることです。

何かすごい成果を出していなくても、何か飛び抜けた能力がなくても、ただ存在していることに価値がある。

そういう風に認めてあげることです。

つまり、誕生日を祝ってもらうことを素直に喜べないことは、他人からの存在承認を受け入れられない、ということと同義です。

S君の根底には、

「ありのままの自分では、人から興味を持ってもらえない、存在を認めてもらえない」

つまり、

「何かをしていない自分には、人は興味を持ってもらえない、存在を認めてもらえない」

という信念がありましたね。

だからこそ、無条件の存在承認である、誕生日を祝うという行為に対して違和感を感じるわけです。

みんな心の底からは祝ってくれてないんだろうな、と思ってしまうのです。

でも、ここで一番大事なことは、S君も心のどこかでは

「もっとたくさんの友達や家族に、心から誕生日を祝ってもらいたいなぁ」

「誕生日を祝ってもらえることを、もっと素直に受け取って喜びたいなぁ」

といった想いを持っているということです。

「何かをしていない自分には、人は興味を持ってもらえない、存在を認めてもらえない」

という悲しい信念をもって生きてきたS君は、本当は誰よりも存在承認を求めているのです。

何もしていなくても、あなたには存在しているだけで価値があるよ。

そういう風に世界から受け止められたい、人から認めてもらいたい。

S君の魂はそう叫んでいるのです。

そう考えると、誕生日に冷めたアマノジャクのS君もいじらしく見えてきませんか?(笑)


まとめ

いかがだったでしょうか?

この記事の学びをまとめるとするなら、

・誕生日を祝う行為は、無条件の存在承認の儀式である

・誕生日に対して冷めた考えをもっている人は、その根底に「人はありのままの、何もしていない自分には興味を持ってくれない」という信念(≒思い込み)を持っている。

・そういう人ほど、「何もしていなくても、あなたには存在しているだけで価値があるよ」という無条件の存在承認を欲している。

といったところでしょうか?

本記事が、自己理解・他者理解に少しでも役だったなら幸いです!

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