人生という旅路には、この音楽を。

ドラマストアのLAST DAY(S) LASTリリースからひと月が経って、
ようやく感想というか心のまま感じたことを書こうとしている。
うまく言葉にならないかもしれないし、
解釈違いだってたくさんあるのかもしれない。
でも、私に届いたものは、いつもみたいにやっぱり書き留めなきゃ。
ってしてるうちに4ヶ月経ってた。笑
い、忙しかったんだよ…丁寧にも書きたかったし…。

今更だなって、思うよ。
でも、この手紙もここにそっと置いておくから、ちゃんと届くといいな。

タイトルの意味を調べたとき、最初に思い浮かんだのはDaylightツアーだった。
「それでもまだ夜は明ける」
燈の歌詞をタイトルにした、あのツアーのこと。
何か一つの区切りが彼らの中にあったのかな、
ここからまた新しい色が増えるのかな、って、そう思うような。

始まりと終わりがあって。
終わりと始まりがある。
終わりの始まりだって見守ってきたし、
始まりの終わりだって見届けてきた。
ネガティブな意味ではない「終わり」をもドラマストアは歌うから、
なんだか心機一転とでも言われた気分だった。

6月の頭にFCイベントがあって、
今回のアルバム曲は昔みたいな作り方をしたって言ってた。
それもあって、原点回帰とステップアップが期待されて、
私はもうこの時点でこのアルバムの好きが確定したよ。

【無色透明】
タイトルを見た時から、予感してた。
私はきっとこの曲がいちばん好きだって言うって。
間違ってなかったな、って思う。
ティザーを聞いたときに、依存度が高めになりそうって思った。
それも、間違ってなかった。
無色透明は、私の深いところに、刺さってしまった。

ドラマストアの選択の歌が好きだ。
海さんに昔、言ったことがある。
何かを選ぶと言うことは選ばないものを選ぶことだから、辛い。って。
そうだよ、と静かに応えたあの子の眼を、私は忘れたことがない。
それを知ってる海さんが歌う選択の歌は、
少しも優しくなくて、それがあまりにも、優しい。

無色透明は、たくさんのものを選んで、泣いて、悔やんで、それでも手を伸ばして、
そうして重ねた選択の先を、変わっていく自分を、愛する歌だ。

備忘録の中で、何度となく色の話をした記憶がある。
私の中に増えていくその色が、ドラマストアの色が増えていくことが、
愛おしい、と思えた瞬間のことを痛いくらいに喚び起こされて、
ああ、ここは、エンドロールの向こう側だ、と思ったら、
選択を歌い続けるドラマストアの一つの答の形だ、と思ったら、
どうしようもなく、心があふれ出してしまう。

描きたいものがあって。
拾い集めた色があって。
ぜんぶが綺麗に混ざるなんて事なくても、
いくつもの選択の先にある今を、こんなにも肯定したくなる。
この先の変化を、恐れずに選びたいと思える。

「無色透明な僕に色をつけた」っていうフレーズでいつも泣いてしまうのは、
この言葉が眩いほどの希望だから。
ほら行け!って背中を押す、海さんの声が聞こえる。
イヤホンの中からいつだって力を貸してくれるドラマストアの音がする。
だからまた、私はその青に向かって手を伸ばすんだ。

メロからサビに向けて増していく焦燥感にも似た勢いが、
背中側から強く吹き付ける風にも似て、
走り出していきたくなってしまうこの音がぐんと押し上げる空を飛べなくたって、
色の分だけ増えたその重さが愛しいと思える幸福を、私は知ってしまった。

初めてフルで聞いたときに、思い浮かべた人が居るの。
あまりにも透明で、生きづらそうに見えて、
俺は綺麗じゃないですよ、って本人は言うのだけれど、
私には誰よりも無色透明に見えていたあの子が、
色を纏って笑えている世界だったらいいのにって、思う。
あの透明度が愛しくて尊くて、でも同時にすごく心配だから、
こんな風にあの子が生きていられたらいいな、と祈るように思った。

あまりにもど真ん中をぶち抜かれてしまったので、
感想が感情過多になってしまう。
音の話はライブの備忘録でね。

【ダ・ヴィンチ・ブルー】
ドラマストアの描く青が好きだ。
海さんのキーカラーは青だって思ってるから、
タイトルが告知されたときからずっとずっと楽しみにしてた。

音にはさ、色があって、曲には、時間と季節がある。
この曲は、新緑の頃の、朝10時だって思ってる。
碧と翠が内側から煌めいて、確かな生命力を感じる。
この印象は、鳥山さんの水分量の多い音が連れてくるものだと思う。
サポート時代の鳥山さんのスイミーは、こんな色だったな。

きらきらしてる上物の音と、低いところを流れるリズムの音がさ、
飽くような日々に息継ぎしてる心臓を駆り立てるから、
笑っちゃうほどに青春してて眩しいなぁって思う。

いつかの青春を思い出す歌なんだけど、
まだ煌めいているあの日の記憶が今を支えてたりするんだけど、
でも、なんでなのかなぁ、今がその真っ只中って言える音がする。
伸び上がるような、背伸びするようなサビの音が、
まだ終ってないだろって、言うみたいだからかな。

走って、走って、限界まで手を伸ばしたら、
ねぇ、まだ間に合うのかな、って、
諦めた夢がまた襲いかかってくるの、アポロによく似ている。
僕が囚われたドラマストアの青の系譜がここにあって、
この空に繋がっているような疾走感に心底弱いなって改めて思った。

あの青に、君の背に、手が届いたら良いなぁ。
憧れや悔しさやプライドがたくさん詰まってて、
そのまっすぐさが直視できない眩しさを持ってるから、
ああ、青春って外側から見るとこんなんだよなぁ、って愛おしくなって、
光の強い音で構成されてるこの曲のインストをくださいかずやさん!!!


【ピクトグラム】
FCイベ@名古屋の時に聞いたのが最初のフル尺かな。
拾い上げた言葉が曲の愛らしさに痛みを与えていたのを覚えてる。
だから、MVが上がったときはちょっと、だいぶ、驚いたんだ。
ああ、そういう曲だったんだ、って。
でも、それは確かにそう、とも思ったんだって。

MVのURLはここに置いておくので見て欲しいな。
私自身は本人映像以外のMVにあまり興味がないタイプなのだけれど、
(演奏を間近で観ることはできないのでMVで手許足許どアップを見たい人)
(そして余白を余白のままで聞きたいからひとつの答の形であるドラマ仕立てが苦手な人)
愛らしくて、世相が出てて、最後にちょっとっていうかだいぶ苦くて、
その苦さが、曲自体に痛みを感じた自分にはすごく、大切なものだった。
だから「最後まで」観てくださいね。

すぐ傍にいる「君」を歌っているのに、
それは確かに二人称の立体を持っているのに、
なんでだろうな、1番の歌詞は時々、その輪郭が揺らぐの。
「君」がまるで、分離できない「私」みたいで、
心の中に黒が広がってしまう。

鏡に向かって、「君」に倣って笑顔を浮かべてみたけど、
まだまだぜんぜん上手に笑えてないよな。
だけど、笑えないままの「君」のこと、置いてけないよって。
すり替わる「君」の影が、涙腺を刺激する。

「君」というもう一人の「私」が、消えていかないように、
「私」はちゃんと「君」を見ていなきゃいけない気が、するの。
かくれんぼが得意なインナーチャイルドがあげる泣き声が、
いまだってまだ聞こえる気がするから。

それからね、2番の歌詞は特に、なんだけど。
好きな音楽と重ねてきた時間みたいだなって、思う。
ドラマストアと、海さんと話してきたことが、いくつも見つかる。

チケットは約束だって、海さんが言ってたのが好きで。
次の約束を、ライブの終わりに増やせたあの日々がまだ肌の上から消えていかない。
削られていく毎日の中で、縋るようにして会いに行った日に、
何度でも魔法を架けてくれた音楽は、ずっと心の真ん中にあるよ。
どれだけ泣いても諦めずに手を伸ばすから、捕まえていて欲しいんだ。

君と同じじゃないと怖くて、
でも、君と同じにはなりたくなくて。
その隣で一緒に歩けるようにって、
ねぇ、After Beatと三月のマーチが渦を巻いてたよ。
それだけじゃなくて、海さんがこれまで歌ってきたことの断片が、
いくつもいくつも散りばめられていて、はっとする瞬間がたくさんある。

話が戻るけど、初めて聴いたときに心がぎゅってなって泣きそうになったのは、
「この手を離さないその理由は ここでは語れないくらいあるよ」
ってフレーズが痛いくらいに胸を刺したからで、
メンバチェンジの後めちゃくちゃ揺らいで泣いてそれでも選んできた私に、
みすみす手を離したりなんかしないって歌う君がまたそうやって重ねてくるの、
どうしたって泣いてしまうと思うんだけどなぁ。
泣きすぎって言われるけど、泣かしてるのは、君たちだからね(責任転嫁)

軽やかな曲調なのに、とても愛らしい曲なのに、
舌触りがざらざらしていてうまく飲み込めない。
ピクトグラムは、そういう曲。
わかりやすいアイコンの向こうの、解けない人間の歌。

余談だけど、「わかった?」の歌い方が死ぬほど好きです。


【ALONE】
ギターロックしてる鳥山さんの音が好きだ、って話は何度だってしていきたい。
ポップな色は確かに彼が入ってから強くなったけれど、
鳥山さんのピアノの音も好きだけれど、
ぎゃんぎゃん鳴くギターの音がね、好きなんだよ。

ALONEの曲の手触りはちょっと今までと毛色が違って、
そうだな、どっちかっていうとワンルームに近いのかも知れない。
犯行声明やディストピアほどざりざりはしてなくて、
あさきゆめみしやイリーガルハイほど尖ってない。
まるでひっかき傷のような痛みを残していく、ささくれだった音がする。

何回聴いてもさ、ドラマストアの曲、としては耳馴れなくて、ちょっと面白いんだ。
この面白さは、色合いはぜんぜん違うけど冒険譚を初めて聴いたときの面白さに似てる。
面白いって言うのはつまり、interestingの意味で。

重めの音と声から始まるのがすごく、好きだよね。
まるで楔を打ち込むように、足許の影を覗き込むように、
内側に沈んでいく海さんの低い声で、ぞくぞくする。
海さんの低音ほんとに最高に好きだからみんなもっと騒いで。

ゆーまさんのベースはこういう曲にものすごく、映える。
ああ、好きな音だなぁ、って思う。
低音のうねりが心臓の音を巻き込んでいくの。
ざわざわして、どきどきして、楽しくて仕方がないから、
ゆーまさんの音はやっぱり、私の好みの音、なんだよな。って思ってにっこりした。

初めて聴いたときにさ、すごく印象的だったフレーズがあって。
『最低から始まる物語は 名作になりたがる』ってとこ。
ライナーノーツで「会心の」って書いてらしたのを読んで、
見事にそのフレーズに撃ち抜かれてるよ海さん!!!!!ってなりましたね。

最低、を残していった物語はいくつもあるけど、
最低、が、最高、になるんだったらそんなにしあわせなことはないのにな。
フィクションみたいな幸福を追い求めてしまうのは莫迦みたいだって、
鬱屈していく心のその歪みが胸を圧迫する、感覚。
理不尽や不安や怒りや、そういうマイナスの感情の中で孤独を浮き彫りにされるから、
個が立っているギターとベースに不安を煽られ、心が萎んでいく中で、
かずやさんが立てる骨組みみたいな音が真ん中にあって、安心する。
かずやさんのこういう、曲を立てるドラミングが、大好きだな、と思う。


【桜の咲かない春】
最初に聞いたのは6月のFCイベント@名古屋
あの日の胸の高鳴りは、まだ私の心臓の上にあるよ。

まずイントロがすごくすごく好きなんだよね。
静けさの中に響くキーボードの色はネオンピンクで、
スローテンポに光を散らすからすごく、時間がゆっくりとしてて、
そこに、どんっ、と入るドラムがめちゃくちゃかっこよくて、
何回聴いても、わかってても、いつもどきどきしてしまう。

このドラムの一音をきっかけに、一気に時間が加速していくのもまた良いんだよね。
再生速度が上がる感じというか、心臓が早鐘を打ち出すように、
一斉に音が駈けだしていくのがたまらなく好き。

和ロックに弱いって話はよくしてる気がするんだけれど、
この曲にほんのりと滲む和のテイストが好くてさ。
もう最初から好きの気配しかなかったし、実際今もめちゃくちゃ好きでぐるぐる回している。

和のテイストって似がちだから使いどころに拘りたかった、って海さんは言ってたけど、
曲調に和を持ってきたのって確かにドラマストアとしては珍しい。
歌詞に和の要素が入ってたりはこれまでもしてるから、言われてみれば、って思った。
それだけ、曲が浮いてない、っていうことなんだよね。

春の嫌いな海さんの歌う、春を想う曲が好きだ。
赤紫色に染まるこの曲は、まるで熱に浮かされるようで、
春の終わり、初夏に向かう頃の、微熱に似た夜の匂いがする。

夢で会えるように、なんてさ、和歌の世界だよなぁ。

「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」
「うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢にを 継ぎて見えこそ」
「君をのみ 思ひ寝にねし 夢なれば 我が心から 見つるなりけり」

このあたりかな。
曲と歌詞に漂う和の気配と、この熱っぽい色が、好きだ。
熱っぽいから、切実さが香って、胸の奥がぎゅってする。
ドラムのかっこよさと、ど真ん中を貫いていく曲調でどきどきするのに、
淋しくて恋しくて痛いのは、ずるいよね。

忘れられないものがあって。
忘れたくないものがあって。
でも、そのすべてがいつかは整えられた思い出に置き換わる。
耳の奥に思い出した音が、声が、言葉が、色褪せて、
夢にだって出てきてくれないのにいつまで私は、覚えていられるんだろうなって、
10年も引きずっておいて良く言う、って話ではあるんだけど。
やっぱり紫がかった楽曲は、記憶を揺すって感傷を刺激するな。


【アリストテレスは斯く語りき】
こんなのタイトルから優勝じゃん!!!って思ったよね。
いちばん楽しみにしてたし、良くも悪くも欲しかった手触りが来た。
赤紫だった音に青と白が混ざってミルキーな紫霞になって、
ああ、こういう色の音、好きだなぁ、って思う。

アリストテレスはね、ベースラインが好きなんですよ。
こう、お腹の中で渦を巻く感じで。
静寂の中に溜まっていく不安とか、情念みたいな。
やっぱりゆーまさんの音は、ロック向きなんだよなぁ、と思うなどする。
滑るように絡みついて、足許を重くして、そういうのが似合う音。

だいきさんのベースはさ、ふわっふわの真綿みたいだったから、
軽くて、やわらかくて、ベースとしては珍しい軽さだったから、
あの頃のドラマストアにはこういう曲はできなかっただろうなぁ、って思う。

海さんの紡ぐ歌詞には余白があって。
それがいつも小説みたいだなって思ってる。
言葉にしないと伝わらないことも、言葉にならないことが伝わって欲しいことも、
綯い交ぜになって歌われていくから、ひとつずつ、解こうとする。

アリストテレス、っていうからには哲学だな!とは思ってたし、
不意に意味がわかるような、その瞬間に辿り着くような、
差し出されたそれが内側に抱えたそういう部分が、
ああ、しっかり哲学してるし、しっかり文学してる、って思って、
それがすごくうれしくて、どきどきした。

拾った言葉の意味を、その向こうを、知ろうとする。
もどかしさが指先を痺れさせるのを、薄紫の中で感じる。
そういう感覚が一曲の中でずっと揺れていて、
飲み込んだ分だけ濃度を増していく想いが、
濁らずに深みだけを増していけば良いのになぁと思うよ。

これは何度も何度も、色んな時に言っていることではあるんだけれど、
忘れられない歌なんてない方がいいんだってしのさんは言うけど、
私はやっぱり忘れられない歌も終らない歌もまだ欲しくなくてさ、
眼を閉じるたびに痛くても、その痛みが愛しいなんて言ったら、
海さんもしのさんみたいに「自分も勘定に入れろ」って言うのかな。

「幸せ」の意味を、定義を求めて手を伸ばしても、
触れるのは装飾過多の御伽話みたいで、
音に身を委ねて重なり合う時間はそれでも譲りたくなくて、
東京無理心中で箱にかけたリボンをここで解かないでよ。
必死で、縋り付いて、溺れてしまいそうになるから、って思った。


【花風】
清廉な風が吹き付ける、薄紅の音楽だって思う。
桜の咲かない春、アリストテレス、そして花風と続く色の変化があまりにも美しくて、
この順番でアルバムに入れようって思ってくれたことに感謝したい。

花風は、冬の色をしている。
桜の花のことを暖雪と呼ぶんだよ。
それから、雪のことは風花って呼ぶんだよ。
そういうことを、タイトルから思い出してた。
舞い散るピアノの音は、桜と雪を瞼の裏に散らして、
その薄紅色に胸の奥がぎゅってする。
鳥山さんの音は水分量が多いから、冬色の曲によく映える。

この曲を聴くと連想する物語があって。
この曲を聴くと思い知らされる淋しさがあって。
涙腺に触れられてしまうから困る。

形のある物はいつか壊れるし、永遠なんてないんだろう。
それでも、永遠で在って欲しい、と願ってしまう。
淋しさが募っていく中に、愛おしさの質量を知る。
何度でも、何度でも、わかっているのに手を伸ばしてしまうのは、
この愛おしさを手放せないからなんだろうな。
それでも、いつまでだってほんとは、わかったフリ、なんだ。

行かないで欲しかった。
置いていかれたくなかった。
さよならの季節が巡る度に、どうしようもなく涙が出る。
空白を撫でられる度に、泣き叫んでしまいそうになる。

始まったら、終ってしまうから、
でも、美しく咲く姿を見たいから、
君に、笑って欲しいから、
凜と立つその傍に、誇れる自分で在りたかった。

「俺は俺のために歌ってる、でもやっぱりみんなのためにも歌いたい」
って海さんは随分前にそう言ったけれど、それを思い出した。

種を撒くようにして歌っていたいくつものことが、
きっと知らないところで花開いて、未来を繋いで、
歌を味方につけて歩き出していく誰かのことを祝福するんだよなって、
そうして必要なじゃなくなっていくことも覚悟してるんだよなって、
不意に初めてのサカスプの日の私が号泣してしまったMCを思い出して、
咲くために散って、散るために咲くその尊さが鮮明に降ってきて、
花風が街中で急に聞こえてきたら私は蹲って泣いてしまうんだろうなぁ、と思う。

感情論を書き殴ってしまったからちょっと冷静になって話を戻すんだけど、
私は海さんのロートーンが大好きなんだよね。
花風リリースしたときにかずやさんが海さんの低音の話をしてて、
だからものすごくテンションが上がったし楽しみにしてて、
実際ものすごく好い低音を持ってこられたので、完敗!!!ってなったのよ。

とくにCメロ?
「花風が舞う あの日僕は 凜と立つその姿に見とれて
 ああこのまま 眼を逸らせば また変わらない春が写る」のとこ。
直前のフレーズで焦燥感を煽ってたドラムが不意に引いて、
弦楽器の音も止んでふっと光度が落ちた世界に際立たせた海さんの声のトーンに、
良く通る高音域ではなく夜に埋没しそうなローを持ってきたの、
ほんとに、してやられた、ってくらい好かった。
花風は、冬の夜の色。

あとここで「うつる」を「写る」ってしたのもめちゃくちゃ好いよね!
これは、いつかのあの日の、忘れられない春の、歌だって、
何度も何度も、過去をなぞっては変わらない今に立ちすくんで、
痛いくらいに、淋しさと恋しさが伝わってきて、ずるい。
映像だって静止画だって記録であることには変わりがないのに、
私にとっては、写真、の方が、思い出、や、過去、にずっと近い。
閉じ込められたいつかの一瞬は、鮮烈な懐古の念を感情を呼び起こすんだよ。


【夕立の唄】
幕間、って言ったらちょっと聞こえは悪いのかも知れないけれど、
夕立の唄は言うなれば、物語の前半で張り詰めた空気を弛めるような曲だと思う。
チルい曲を、って確かどこかで言ってたと思うんだけど、
アリストテレスと花風でどんどんと息苦しくなっていって、
ふっとこの曲が流れてくるの、あまりにも美しい幕間劇なんだよ。
曲が短いのも、その印象を手伝っているのかも知れない。

オレンジ色だな、って思う。
夕立の後の、夜闇にほんの僅かに残る、オレンジ。
私にとっては感傷を引っ掻く音だ。
加えて、夕立の唄は秋の色をしているから、
なんだかちょっと、寂寥感に締め付けられそうになる。

でも、この曲はさ、日常の歌だよね。
君が居て、僕が居る、と言う日常の歌。
愛しい、という想いがあふれている。
大切なことは言葉にしたら途端にチープになりそうで、
それでもちゃんと言葉にできたら良いのになぁ。

愛しいから淋しい。
淋しいから愛しい。
そういう、当たり前で、当たり前じゃないこと。


【夏の幻】
不意打ちだったMVのことを思い出してしまう。
どうしようもなく、泣いてしまったことも。
泣いてしまうから、あれからMVを観れてないことは申し訳ないけれど。

十三回忌も過ぎたのに、まだ涙が出るんだ。
日常から薄れていく影に、そっと手を伸ばす。
手触りをいつか思い出せなくなっても、
忘れたくないのに消えていってしまっても、
こんな風にさ、傍に在って欲しいなぁ、って思った。

夏の幻は、祈りだ。
預けた視点は、願いだ。
秋の色をした、夏の歌。

彩度の低い音が輪郭を揺らして、
MVの霞がかったような映像が、夢と現の境みたいで。
音には確かに夏の気配が在るのに温度がなくて。
ストリングスの響きが渡る空の青は、もう見えない。
フィルター越しの世界が、優しくて苦しい。

ぜんぶ覚えているなんて無理だ。
でも、ぜんぶ覚えていたかった。

MV公開時に恋しさと苦しさが混じってぼろぼろに泣いて、
眼の前にFCイベがあったからまとまらないままに手紙を書いて、
でも結局今になっても言葉はまとまらないままだ。

海さんには昔、母の話をしたことがあって、
アポロベイスの階段上、話を聞いてくれた海さんの穏やかな表情を覚えている。
あの日交わした会話は、今も私の胸の中に在って、曲がそれに触るから、
夏の幻はいつまでも泣いてしまう気がするなぁ。


【月と旅人】
こちらもMVがあるので、まずは見ていただいて。
もうとにかく海さんがかわいいって話します??

聞けば聞くほど好きになるし、ある一時を境に聴く度に泣いてしまう。
このアルバムの中でいちばん泣いてるかもしれない。
私にとってすごく、大切な曲が月と旅人だ。
愛らしさに包まれているけど、歌詞が好すぎて泣き崩れてしまう。
罠みたいなそういう曲が、君たちには多いなぁ。笑

月と旅人は、冒険譚の向こう側なんだと思っていて。
新しい靴も、必要なものだけを詰めた鞄も、
時々重くて、時々邪魔で、なのに私は置いていけなくて、
ほんとにさ、きっと軽い方がどこまでもいけるのにな。
履き慣れた靴の方が、痛くないのにな。

でも、どちらにせよ、過去に向かって歩けはしなくて。
冒険譚では明日に駈けだしていくようだったけど、
月と旅人は歩んできた日々を抱きしめるようにして今日を踏みしめて、
それが、あれからの時間みたいで、心がぎゅうぎゅうする。

星座の答合わせなんてさ、すごく、ロマンチックだよね。
ありあまる孤独な空白の中で繋いだ物語が、
誰かと同じだったらいいのにって、思うし、
同じだったらきっとそれは運命と呼べるんだろうな。
でも、同じじゃないから、愛おしいことだってあるんだ。

だから、覚えていたいよ。
ぜんぶぜんぶ、私が覚えておくから、君は忘れてもいいよ。

何度も何度も、そう言ったんだ。
ちゃんと見届けて、ちゃんと書き留めておくんだ。
君が、そうして欲しいって、言ったこと、
忘れちゃってても僕は覚えてるよ。
書き散らかした備忘録の下書きは眠ったままで、
差し出したらそれは君の記憶の代わりにもなるのかな。

おいで。って手を伸ばすように誘いかけてくる声と音に導かれて、
月と星が瞬き始めた夜の始まりの中を歩く。
改めて差し出された言葉たちが心を絞って、
どこまでも遠くへ、行ける限りのところまで、
ドラマストアの音楽とって、思わずにはいられないじゃない。

人生という名の旅にはこの歌を。
僕には、君の歌を。

祈るように想って、願って、差し伸べられた手を握って、
そうやって、続いていけばいいのにって、
それはまさに今作に籠めた想いそのものじゃないか。

ああ、また感情過多になってしまった。笑
書きながら泣くのを止めたい。笑

最初に月と旅人聞いたときにさ、なんだか聞き覚えのあるフレーズだなって思って、
花に風、月に叢雲、だって思って、待て待て、ってなったの良い思い出。
うまくいかない、っていう諺なので、ちょっとざわついた。
実際にはこの言い回しじゃないし、でも、その要素がうまく組み込まれていて、
「花に風」「時に雨」はどちらもきっと予定通りではなかったもどかしさで、
だけど「星に月」が似合うように「君には僕」がいて、
雨が降ったってそれはちゃんと晴れて「月」が見えるんだなって、
それはなんて愛おしい夜なんだろうって、思う。

私の備忘録を読んでくれている人は思いだして欲しいんだけれど、
静岡のライブのことを強く思い出すんだ。
台風の、土砂降りの中会いに行ったあの夜のこと。
ライブが終って外に出たらあんなにも降っていた雨は上がっていて、
空に出ていた月が眩しくて、美しかったこと。
水分の多い空気の中で、心がぎゅうぎゅうしたことを、今も覚えてる。

静岡のドラマストアにはちょっと思い入れが深いものだから、
そんな風に思い出させられたらたまったもんじゃないよな、って思いますね。
でも、そうやっていくつも思い起こされる景色があるのは、
ドラマストアと一緒に旅をしてきたからなんだよな。
月と旅人、思い出が散りばめられすぎてて泣きすぎる。

単純な好きの話を最後にするんだけど、
「愛の意味も知らないくせに ラブソングで泣いてみたりする」
っていう歌詞があまりにも秀逸で唸ったし、
「最低で最高な週末だ」の歌い方がめっちゃくちゃ好きです。(好きです)


【knock you,knock me】
散々ライブの備忘録に感想を書いたからいいか、と思ったけど、
特に公開もしてないのでやっぱり書こう、と思ってタイピングを開始してる。
死ぬほど泣いてしまう理由を、うまく書き起こせる気は、しないけれど。

だから先に、好き、の話をしておこうかな。
「難攻不落の方程式」がめちゃくちゃ好いって話なんですよ。
その前に出てくる「定理」がしっかり効いてるし、
それなら「アイ」ってそれはつまり「i」ってことで虚数ってことでしょ。
海さんは圧倒的文系だと勝手に思ってるんだけれど、
あまりにも「それ」な歌詞構成にきゃっきゃしちゃったよね。

心も愛も、まぁ確かに虚数みたいなものだし、
解(と)けない「アイ」を解(ほど)こうとするこの歌詞が、
私の心をいつだってちゃんと解いてくれるから泣いてしまうし、
この歌詞を持ってきた海さんに完敗だよ、てなるんですよね。

オレンジ色の曲にはどうしたって弱いから、
この曲に崩れ落ちてしまったのはその夕陽色のせいだよ。
すべてが輪郭を曖昧にしていく時間に、
どうしてこんなにも愛おしさは募ってしまうんだろう。

ノスタルジーを感じる理由がなんなのかを考えているけれど、
コーラスワークとドラミングだろうなってなんとなく思う。
かずやさんの面で触れるやわらかい音は淡い光に縁取られていて、
眩しい!って感じのそれじゃなくて、なんていうのかな、
思い出す愛しい日々がきらきらしてるような概念的なそれで、
和声の響きがどこか朧な繊細さを纏っていて、
だからきっと、少し淋しくて、愛おしくて、懐かしいんだと思う。

恋の歌だって言われて、言われてみればそうか、と思ったことを覚えてる。
私にとっては、ドラマストアの事、だったから。
内側に抱え込んで凝り固めてしまったものを、
ドラマストアの音楽はいつも丁寧に解いていくから、
君にはぜんぶお見通しなんだろうなぁ、って思う。

こうなると思ってたわ、って言うみたいに笑ったカンラバの日の海さんを思い出して、
離れられないよな、ドラマストアの音楽からは、って。
この手を離せるわけないよな、海さんの音楽から、って。
そう思って泣きそうになるところに、
「むざむざ手を離すほど馬鹿じゃない」って歌詞が降ってきて、
堪えきれずにぼっろぼろに泣いてしまったし今も泣いてしまうんだ。

選択には正解も不正解もなくて、
選んだ先で選んだものを愛し抜くこと、って、
僕は木谷さんに教えてもらったし、
ドラマストアの選択の歌が好きだから、
選んで叩いた扉も、選んで開いた扉も、選んで掴んだ想いも、
時に不安を覚えても最後までぎゅって握っていたいって思うよ。

終らないで、まだもう少し、あともう少しって、
祈るように、誓うように響く歌声に願って、
あまりにも幸福そうに歌うから、ライブの最後にやられると号泣なんだよね。笑
わかっててセトリ締めしてるだろ、って思ってるからね?


【むすんで、ひらいて】
海さんの低い声が好きだ。
この曲の穏やかな低音がたまらなく愛おしくて、
雪が音もなく降り積もっていくように、海さんの声が私に降り積もっていく。
囁くような楽器の音が、雪の反射する光みたいに眩しくて、でも、優しい。

かずやさんが、優しい曲でくれる優しい音が好きだよ。
かっこいいドラミングにはテンションが上がってしまうし饒舌に好きを語るけど、
優しいドラミングは私のだいじで、幸福で、愛おしい。
美しいコーラスと穏やかなドラミングへの想いは簡単には言葉にならないよ。

ドラマストアに出会ってからずっと、いつだって一番傍にいたいのはドラマストアの音楽の傍で。
本命のライブさえも振り切ってドラマストアに会いに行ったこと、
海さんはすごくびっくりしたみたいに迎えてくれたけど、
本当にただただ、何も見逃したくなくて、傍にいたくて、必死で、
それはこの7年間、少しも変わらない想いだから。

会いたい、傍にいたい、置いていかれたくない。
想いが募るほどに愛おしさで涙が出て、
足りる、なんてことはきっとなくて、
満ち足りてもまたすぐに淋しくなって、
会えない方が無理だって走って行ったミナホのことを思い出すよ。
あの日海さんは、逃げてきていいって言ってくれた。
その為に俺らがおるんや、って言ってくれた。
だから私は、ちゃんとここまで歩いて来れたんだよ。

「知らない話は苦しくなる つまりはそこに僕が居なかったこと」
ってフレーズがぎゅぎゅぎゅっと心を締め付けるのは、
居合わせられなかったライブの感想に触れられなかった私で、
海さんが歌えなかった数ヶ月間のあの子の想いを映したみたいに思えたからで、
FCイベで3人で奏でるはずだったのに歌いに上がった海さんのこと思い出して、
私はドラマストアの曲の良さを痛感したあのインストゥルメンタルのライブも大好きだけど、
海さんの声が聞こえたときの安心感で泣いたことを思いだして、
ああ本当にこうやって、何度だって、結んできたんだなぁって思うんだ。

竜太朗さんが真っ赤な糸の演奏でトラブったときに、
大丈夫です、千切れても何度だって結び直しますって言ったんだけど、
私はドラマストアのこれまでを見てきてたくさん心が揺れたし、
海さんがライブMCでよく言っていたようにいつ離れたっておかしくなかったと思う。
でも何度だって、私を繋ぎ止めて、この音楽に結び直してくれるのはドラマストア自身で、
結んだ分だけ近づいていくなんて表現されたら、
それは確かにそうで、結び目が増えていく分だけ愛しさが募って、
だってそれだけ想いを注いできたって、ことだ。
それは、お互いに伸ばし会った手が触れるような幸福だ。

オリジナルメンバのドラマストアへの想いは、恋に近くて、
今のドラマストアへの想いは、愛に近い。

ってこの話は何度かしている気がするんだけれど、
泣いて、泣いて、泣いて、それでも手を伸ばし続けた自分の想いと、
想いを何度だって束ねて、結び直して、繋いでくれる彼らの音楽とが、
ちゃんとここに満ちていて、この曲の色があまりにも幸福の色をしていて、
想いがあふれて泣かずにはいられなかったんだ。




長々と書いたけど、どれもこれも感情過多で、
相変わらず音や曲の作りの話に触れられてなくてあれなんだけど、
これは備忘録と同じで私が私のために書いているものだから。
いつだって私が、ちゃんとここへ帰ってこれるように。

ドラマストアの解散が発表されて、どうしていいかわらかなくなって、
その痛みは確かに私を蝕んでいるし、傷に触るような歌詞もたくさんある。
でも、このアルバムの中に閉じ込められた想いは、
鬱屈したこのコロナ禍の中で痛みを堪えながら確かに明日へ向かっていて、
ちゃんと過去を抱えて、生きていて、足踏みする私を励まして、
海さんが最初に言ってくれたみたいに今日もイヤホンの中から力を貸してくれる。

だから、大丈夫だ。

って、そう思うよ。
よくわからないけど、そう思う。
私も、あの子たちも。
ちゃんと、選んで生きてるから。

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