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ノリが「悪い」ではなく「合わない」だけなのでは?

先日大須にある大好きな【Fab Chich】というブティックへ行ったときオススメされたモンドリアン展へ行ってきました。芸術というのにまだまだ理解できないながら最近興味を持ち始めました。(ブティックなんて言葉普段使いません、かっこつけました(笑))

地元の友達と久しぶりに遊びました

先日地元の友達と中学校ぶりに居酒屋で飲んでいました。
中学の頃の話題ってなんだかちょっぴり恥ずかしくて、それでも話していると楽しいものですよね。

そんな昔の話や最近の話をしている中で”最近は地元の友達と遊ばなくなった”という話題に。

人間関係の限界

僕たちは時間が経ち、年齢を重ねていくにつれて趣味趣向が変わったり人生の岐路に立ったり、いろんなことを経験していきます。
そのたびにその先で持ったコミュニティの人との出会いがあります。
人が、人間関係を保っていられる限界人数が150人と言われていているそうです。
150人という数字がどんな実験で出た数字かは分かりませんが、そこには限界があることは明白です。
これは「みんなと仲良くしたい」という理想論の話ではなく僕たちの現実の話です。

ノリが悪いから付き合わなくなった

そんな中、友達の”最近は地元の友達と遊ばなくなった”理由として挙げていたのが「地元の友達はノリが悪くなったから」といったものでした。
なんだか少しトゲのある表現の仕方でしたがそういった表現をしてしまうのも少しはわかる気がするなぁとも思いました。

人間はいくら自分を客観的にしようとしても客観視をしているのも本人なので主観から抜けだせません。なので自分を正当化したような表現になってしまうのだと思います。

僕目線(客観)で見ると、ただただノリが合わなくなったというだけだと思うのです。
簡単に言うと、A君がB君に対して一緒に飲みに行ってくれないのでノリが悪いなぁと言い、B君がA君に対して一緒にゲームしてくれないことにノリが悪いなぁと言っている状態です。どちらが良い悪いではなく合う合わないの問題なんだろうなぁといった感じです。

とはいえ、本人も地元の友達を悪く言うつもりもなかった事は僕も理解しております。


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