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読書家とは究極の遊び人

「へ〜、こんなに本読めてすごいね」とか「お〜、集中力あるね」や「わ〜、こんな難しそうな本よく読めるね」などなど。

読書家=「すごい人」「集中力のある人」「読む力のある人」「自分にはできない」

という読書に対する考えは幻想です。

真に読む力のある人の「力」とは「集中力」とか「時間を取り分ける力」ではありません。確かにそうやって読書を「がんばって」している人がいますが、きっとそういう読書は疲れてしまうでしょう。

僕が思う真の「読書力」とは力ではなく、好奇心です。知りたいと思う心が少年時代の心を動かし「元昆虫博士」だった大人がいるように、好きなことを好きなようにする心が自然と読書へと注がれるのです。

そう、読書家とは好きなことを好きなだけしている究極の遊び人なのです。

無理に読書家になろうとしても、たぶん疲れるだけ。

大切なことは自分の好きな分野の好奇心を満たすための読書から始めることです。読書をしていればわかりますが、ひとつの本を読めば決してその一冊だけで満足しないのが読書です。次から次へと芋づる式に読書の道が広がっていく感覚がとても大切だと思います。

僕は読み切れずに積読になっている本が多数あります。しかし、積読=「せっかく買ったのに読まないなんてもったいない」では決してありません。積読本の数はその人の「知りたい」と思う心の内実をあらわします。そもそも本は「買い続ける」ものです。自分の本棚をつくり、テーマごとに分けることも大切でしょう。それは「自分が今、どんなことを考えているのか」あるいは「自分はこれまで何を考えてきたのか」という読書家の人生そのものを本棚は鮮明に映し出すのです。また買っておかないと後で手に入らなくなる本があるし、あるいはその時に買っておいたからこそ後になって良いタイミングで手に取れる本があります。だから本は今買っておくことが大切なのでしょう。

そして、「何かを知る」とは人が生きる上でもっとも大切な欲求であり、「何を知るか」によって人の人生は変わっていきます。だから、「何を知るか」の前にある「それを知りたい」という初々しい気持ちをないがしろにしないことが大切です。故に、まずは本屋にいって膨大な量の本を眺めてみてはいかがでしょうか。そこにある数え切れない量の本は人類の歴史を表しています。人がこれまで何を知り、何を考えてきたのか。そして今あなたが本を手に取るなら、その歴史の新たな一ページにあなた自身がなっていくのです。

読書の営みは楽しいです。「何かを知れた」という喜びはかけがえのないものです。すでに読書家のあなたも、そしてこれからというあなたも「ただ何かを知りたい」という思いから広がっていく究極の遊びを始めませんか?

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