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自分が本を読む理由は

「花束みたいな恋をした」という映画をみて、いろいろ刺さったポイントがあったのですが、一番刺さった場面が本屋のシーンでした。サブカルが好きだった主人公が自己啓発本を立ち読みしているというシーンが社会に出ることを表しており、自分も似たような変化があったなと振り返りました。

なので今回のnoteでは、自分の本との向き合い方を残していきます。

学生の時、毎日かばんの中には小説が2冊は入っていて、電車の中では常に小説を読んでいた学生でした。ジャンル・時代を問わず、話に聞いた本はとりあえず読んで見る活字中毒の少年だったと思います。

大学に入学し、インターンや就活を通じて社会を知るようになったら、気づいたら小説がビジネス本に変わっていました。読めば読むほど新しい知識を得ることができるビジネス本は当時は本当に読んでいて面白く、新しい知識を得ることが快感でした。

そのことは今振り返っても悪いことではまったくなく、むしろ20代の自分の人生を何度も助けてくれました。ベンチャーという世界で生き抜く体力・経験を得ることができたことで、自分にとって働くということはポジティブなものにずっとなっています。大学生の時から社会人と同じくらいの時間を働き、25歳でいわゆるスタートアップで役員として経営を経験できて、生き急いでいると言われたキャリアでしたが、これを支えた一つの土台は毎日読んでいたビジネス本の知識でした。

ただ、20代後半に差し掛かったタイミングで、背伸びをしていた自分にも余裕ができてきて、かかとを下ろすことができたときに周りの人生を知りたくなっていました。自分の人生は1回しかなくて、良い悪い関係なく、他の人生は歩めないということをふと思ったときに、今まで積極的に読んでいなかった「エッセイ」を読むことが増えました。ビジネス本の中の価値観は、Aをやったほうがいい・Bをやったらだめだ、というものだと思っていて、それに対してエッセイにはいいもわるいもなく、その人の日常がありました。特に「ナナメの夕暮れ」というオードリー若林さんの本を読みながら、日々悩み・後悔をしながら生きているし、同じ見方をする必要がないということを思えたことがとても大きなきっかけでした。

そんなこんなで、いまはエッセイ・小説・ビジネス本+雑誌を読んでいて、とにかく本に触れている時間が人生で一番長いかもなと感じています。それぞれの本には人生にとって何かしらの気づきがあり、自分にとってほしいものをくれるものなんだなと思っています。読む本が変わるということは、自分の悩みや考えが変わっているだけで、それをネガティブに捉える必要はないなと。
冒頭にも書いた「花束」の主人公の変化も、悪いものではないと思います。変わるということは前の自分を否定することではないし、今までが嘘になるわけではないんじゃないかなといまは感じています。
10年前に読んでいた小説をいま読むと、全然違う感想がでてくることが多いです。それは本を読むということの楽しさです。

自分にとっては、「知る」ために本を読んでいるんだなというのが27歳のいまの考えです。
小説を読めば、世界と言葉を知ることができる
ビジネス本を読めば、経験と考えを知ることができる
エッセイを読めば、人生と悩みを知ることができる
知れば知るほどもっと知りたくなるし、知ったことを自分の人生に全部活かす必要もない。ただ知りたいから本を向き合う。だからこそ、これからもいろいろな本と出会っていきたいなと思っています。


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