日記:ありがとう
例によって明日はリハビリセンターだし、そのあとは映画とか観にいく予定で、円滑にスケジュールをこなせるように今はセッティングに尽力するまで。
今日はチェリストのコンサートを聴きに行きまして、母上に趣味を無理やり合わせるとこういうスケジュールになる。
チェロっていいものですね、人間の根源的な部分に問いかけてくる音色が秘められている感じ。
聴いていればいるほどに、自分としての深みに足を踏み込んでいく感じがするのですね。
この前私はウェストサイドストーリーを観に行った時に寝落ちしたと書いたけど、
母に聞いてみたら、一緒に呪術の劇場版観に行ったときに母は寝落ちしたと言っていた。
そんなことある!?
どんだけ寝不足だったの!?
などと言う権利は私には無い。
スピルバーグ監督の渾身の一作で寝落ちした私には発言権なんてないんだよ。
これが、価値観の隔たりというやつなのですね。
今日は日曜日だからって、少しお酒を飲みすぎた。
酩酊状態で絵を描いたら、ひどいことになった。
愛子ちゃんごめん。
チェロってクールな楽器ですね。
楽器自体が大きいことも、音が心臓に響くように低いことも、まるでこの世界の終焉を優しく告げるような音色だ。
最近「範馬刃牙」を読んだことで、“漫然と物を口に運ぶ”ことをしないように気をつけています。
感謝と共にね。
27年生きてきて、確かに言えることがあります。
人生の意味というのは、見つけられなくても生きていけます。
たとえ意味がなくたって、生きていくことはできます。
漫然と生きましょう、私と一緒に無為な人生を過ごしましょう。
時間を無駄にするなってことあるごとに思い出す言葉だけど、そういう言葉を胸に刻んで、私は今日もボーナスステージを謳歌するのだ。
漫然とした日々を言語化するにあたって、第一に心がけるは読者の幸せであるはずだ。
読者の幸せなくして、発信者の幸せはあり得ないのだから。
何か大きなことを成し遂げたいっていう欲求がないわけじゃない。
それでも、現実社会のことを考えると、胸が苦しくなるばかり。
考えたって、無駄とは言わないけれど、傷が深くなることはもう体感で分かったことじゃん。
この世界はあまりにも広大だから、主観で全てを断罪してしまうには、惜しくて尊くて、価値のあるものばかりだから。
私は自分がいかに矮小な存在であるかを、忘れたくない。
何が言いたいのかというと、今日という一日は、大きな感動が寄り添ってくれた一日だった。
ありがとう。
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