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ツッパらないと

悪いことって楽しい。

朝起きてまずカップ焼きそばを食べちゃうのも悪くて楽しいし、昼間っからお酒飲んじゃうのも楽しい。

作業所をお休みして整形外科に行って、よくよく時間を見てみたら全然作業所に間に合いそうだけれども、サボりを続行してショッピングモールのうどん屋さんでうな重定食を食べちゃうのも楽しかった。

心が子供なままだからそういう行動に出てしまうのか、本当にガキだった時のことを思い出してみる。

高校に入った私はその高校の制服とか髪型に異様に厳しい感じに少し反発し、何をしたかというと…
学校には指定のベルトがあるからそれを使用しないといけないんだけど、そこを勝手に自分のベルトを巻いているクラスメイトがカッコよく見えて、でも規則を破って怒られるのはこわい。

バレないようにルール破りたい。

そこで私は「学校の指定のベルトにそっくりなユニクロのベルト」を巻いて3年間通学し続けた。

やることがあまりにもしょぼすぎる。

今考えると全然学校のと違うベルトしてたやつも何人かいたし、ああまでビビってた自分もアホみたいだし、それでも何かしら不良になってみたかったのが伺えます。

だからこそ軽音に入ったとも言える。

所属していた軽音部は部員たちの校則違反がそれはもう頻繁に話題になる状況で、下校時間が過ぎた後も勝手に練習を続けていたり(これは可愛いほう)、髪は伸ばすしシャツは出すし学校にウォークマンは持ち込むし(これも禁止されてたみたいだ)思い返してみるとここまでルールで縛る必要あったのかな?

おしゃれとか多少失敗しないとわかんないし、大学生になる前に色々練習させてほしかった…かも…中学〜高校の時のルールの厳しさ、そして明らかにその反動でめちゃくちゃにはしゃいでた大学1年生。

その2年後に入った専門学校は調理師を目指す場所であったので、まあまあ規則は厳しかったと記憶している…
その前のフリーターだった頃はお菓子工場勤務だったので、『完璧な』衛生観念を求められた。

全身真っ白な作業着。

髪の毛どころかまつ毛一本でさえも混入は許されない。

窮屈を通り越して、もはやこの場から逃げ出したい!

当時強迫性障害の治療中だった私はその工場のカサカサする全身スーツが最高に嫌いで、じ、じごくだった…挫折しなかったのは最初から5ヶ月半で辞める契約であったのと、専門学校への入学を控えていたから。

そして若さのガッツ。

自分にできないことはないと信じる謎のエネルギー。

振り返ると私が一番不良してたのは、今を除けば高校時代だったのかもしれない…
大学生時代の意味わからん挑戦的なファッションをしている私の痛い写真を見返して、少し昔のことを思い出した。

新刊もよろしく♪

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