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余白にある感情がすきという話

私にとってすきな曲だ! と言える理由の一つに「情景が頭の中に思い浮かぶ」というものがあります。それは曲がいい・歌詞がいいとはまた違ったとろこに存在しています。

その情景とは、日常のふとした一コマだったり、幼い頃の思い出だったり、曲のイメージをそのままなぞったものだったりと様々です。そのイメージによって感情が高ぶったり、しんみりしたりするわけです。要は心を動かされた、と言いかえてもいいのかもしれません。


普段からほげーと一日を通して誰とも会話すらもしないゾンビみたいな生活を営む私にとってみれば、それは大きな衝撃と突き動かされてしまうような謎の巨大感情に襲われ、居ても立っても居られなく暴走機関車と化し、雨の日の前の散水車のようにだらだらとインターネットの片隅に感情をたれながすのです、たのしい。

感情がだだ漏れしてしまいました。

それでも音楽というものは枯れた果てた荒野のという名の私の心に生み出されるオアシス……いつもありがとう(特に推しのみんな)BIG LOVE......

余白に私の感情があるのかもしれない

ところで、不在の百合という概念があります。百合…?! 突然なにを言い出すんだ…と思いましたか? 私もそう思います。

不在の百合の初出は早川書房のnoteから小説家の宮澤伊織先生へのインタビューからです。簡単に説明すると、人物を取り除いたエモい風景はそれだけで百合というものです。

百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー
https://www.hayakawabooks.com/n/n0b70a085dfe0

ここでは百合の話をしたいわけじゃないのです。何もない風景から百合を見出すプロセスと私の音楽から情景を思い浮かべるというプロセスとがほとんど同じということです。

情景を思い浮かべるにはある程度の余白が必要になります。余白なのだから本編はしっかりあってその隙間に自由な感情を広げることができるのです。

煩わしい人間関係から受ける感情ってロクなものじゃないですか。それはとても直接的で想像の余地もないのです。向こうから土足で踏み込んでくる災厄は私の余白を容赦なく塗りつぶしていきます。ひたすら削れていくメンタル……。

私が芸術などの創作物が素晴らしいなと思うところの一つに「見た者、聴いた者、触れた者の心を動かせるパワーがある」というのがあります。

心が動かされるというのは、それこそ楽しさだったり喜びだったり哀しみももちろんですが怒りもそれに含まれます。男の子がエッチなイラストを見てそわそわしちゃうのもそうです。いえ、女の子もそういう人だって当然います。いずれにしても人の心を動かしたわけです。

じゃあ、さっき書いた人間関係や不意にかけられたトゲのついた言葉で感情が動くのと創作物で感情がうごくのとどう違うのかな? と、考えました。

結果的に心が動いたのだから同じと言ってしまえば身も蓋もないのですが。多くの人はポジティブな気持ちで自ら触れに行く事が多いと思います。そこが違うところなのかな。

そういった意味で、人の心を動かすってとても大変なことだなーって常日頃おもいます。もっぱら動かされる側の私からすると私にはそんなパワーのあるものは作れないや……と尻込みしてしまうと同時に同じ舞台に立つ勇気とかビジョンが描けません。とても尊敬します。

改めていつも、私の心を豊かにしてくれる皆さん本当にありがとう。

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