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「写メ」の呪いが解けました

・「写メ」の呪い
ふとしたタイミングで気づいたんですが、写真を撮ることを「写メ」を撮るともいわなくなりましたし、写真のこと自体を「写メ」と呼ぶこともなくなりました。あんだけずっと「写メ」って言ってたのに。

友人の面白い話(格好とか)が出ると「写メないん?」と聞き、学生の頃は「プリント写メって送って」と連呼していた自分が、ふとしたタイミングで気づいたんですが、「写真」という言葉を使っていました。ようやく、長い「写メ」の呪いから解放されたのです。

・いつから使ってたっけ、、?
自分が初めてケータイを持ったのは中学3年生のころでした。それまではずっと同級生から送られてくるメールにPCから返し、外で電話を掛けるときは公衆電話を使い、写真はデジカメで撮る。なんていう生活を2000年代の終わりごろまでしていました。

しかしながら、ケータイへの憧れはそりゃあもうトンデモない熱量であったので、おそらくは小学生くらいから「写メ」というワードには親しみがあったし、中学生のころには周りが当然「写メ」を連呼するので自分も「写メ」と言っていたような気がします。

・振り返ってみるとおかしくないか?
ガラケーを持つ前も、ガラケーを自分でバリバリ使ってた頃も、あるいは添いの後も「写真」のことをイコールで「写メ」と呼んでいるのはおかしくないか?と気づいたのはここ2~3年のことでして、たまに違和感あるなーと思ってたんですが、まあこれが「平成育ち」らしさかなあと思っていました。

おそらくよほど趣味で写真をやってる、写真部に入ってる、みたいな環境で育たない限り、馬鹿みたいに写真を撮るようになるのはケータイを購入した後、というのが我々の世代ではないかと思います。だからこそ「写真を送る」なんて言わず「写メを送る」になる。そしてそのうち「写真」と「写メ」が近づいたんですかね?詳しいことはわかんないですが。

・解放されました?
世の中が、というより一周回って地上波の媒体やら中高年までが「自撮り」「セルフィー」で盛り上がり始めたころからずっと、今時「写メ」はおかしいよなあという気持ちはあったのですが抜けませんでした。なにせ染みついたワード。おかしいと思う瞬間はあっても、自分自身「言葉狩り警察」ではないので気にしないでいました。

しかし不思議なことに自分自身の最近の発言、思考を振り返ってみると、「写メ」というワードを使わなくなっていました。「写真」を使い始めているのです。いつ以来でしょうか、「写メ」というワードよりも「写真」という言葉を使うようになったのは。「写メ」を完全に使わなくなったわけではないとは思いますが、確実に「写真」の採用ケースが増えています。脳内で。

ああ、こうして一つの言葉に別れを告げるときがきたのだなと、そう思わされました。合掌。

(でもこんだけ「写メ」連呼する文章書いてるとまた言いだしそう)

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