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約2年ぶりに、長文(Twitter比)を書きます

私そらにきは、この度長文メディアに再参戦すること決意いたしました。人生で(多分)4度目の挑戦です。

・何度も同じ過ちを繰り返してきた人生
思い返せば、自分は幼いころからインターネットに触れてきたので、自然な流れとして、HPやブログを無駄に開設しては、更新しなくなって、を繰り返していました。現在のTwitterやインスタグラムなんかは、日常的、習慣的なメディアとして広く受け入れられていますが、当時のHPやブログというのはごく一部のまじめな方がずっと更新し続けているのを除くと、私みたいな小中高生がノリではじめてしまうと、すぐ更新しなくなるというのが定番の流れとしてあって、ある意味、瞬間的/刹那的な媒体だったと思います。開設して、一番最初の記事を書くところ当たりが最高に楽しい瞬間だったのではないでしょうか。

・なぜ長文メディアに戻ってきてしまったのか
そんな私がなぜ、長文メディアに戻ってきたのかといえば、自分の意見を出せる場が欲しかった、ということが大きいです。日ごろはTwitterをメインで使用しているわけですが、Twitterに意見を書くのは非常に難しいし、それ以上に個人的な価値観でいえば、それを自分がやるのはダサいんですよね。

ありとあらゆる方面に、ありとあらゆる誤解を生まないように文章を書くのには、あまりにも140文字という制限はきつすぎて、「配慮」の段階で萎えてしまいます。感情を押し殺して、推敲して、結局書いたが6文字「めんどくさい」だったりする経験がある方は私以外にもいるんじゃないでしょうか。

そしてダサさについて。私は自分自身をそんなに固いことを言うキャラとも、固いことをやるキャラとも思っていないので、Twitterみたいな媒体で急にそういうことを書いたりするのは違うだろと思うことがあるわけです。そこにダサさを感じてしまう。

ついでに言うと、いくつものツイートを連投して(承前)とか書いちゃう痛いおじさんとか、長文のスマホメモのスクショ画像を張り付ける、お気持ち表明野郎/お気持ち表明女性にはなりたくなかったというのもあります。あれは正直ダサいと思っていて、いますぐTwitterを止めて、ブログと知恵袋と発言小町に帰るべきです。というかTwitter上の気に入らないやつらは全員そういうところに消え失せてほしいというのが本心かもしれませんが。

・なぜnoteなのか
なんかオシャじゃんね。note。IT系で働いてる金と時間に余裕がある人は6~8割やってそうなイメージ。私にはそんな余裕はないんですが。

・一本目を書き終えて
ここまで久しぶりに長々と文章を書いてきたものの、やはり前科のある人間なので、またnoteもいずれ書かなくなるんだろうな、ひょっとしたらこれが最後かもしれないなと思いますが、それはそれでいいんじゃないかと思います。そういう生き方をしてきた/していく人生なんだということにはいい加減気づけたので。やりたいこと、やろうと思ったことをやりたいときにやれればそれで幸せなんですよね、結局。では。

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