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ちょっと不思議なお話。~宮地嶽神社の天狗さま編①~

こんばんは。今日は、昨年の夏にあった、ちょっと不思議なお話について書こうと思います。昨年の夏、福間にある宮地嶽神社に行きました。この神社に参拝するのは2回目でしたが、毎回不思議なことがあります。今回は、昨年の不思議なお話を書きますね。               

カラッと晴れた夏の日でした。私は、15時過ぎに神社に着きました。  お参りの後、すぐに奥の宮八社巡りをして、夕方くらいに本殿に戻って来ました。そして、帰ることを神様にお伝えしようと本殿で手を合わせていたら、ドンドンドン・・・と、大きな太鼓の音がして来ました。ああ、もう終わりの時間なのだなあと考えていたら、本殿の中でいそいそと能を舞っている天狗様を発見!!目をつぶっているので、見ているというのが当てはまるのかどうか分かりませんが、はっきりと私の閉じている目では見えてます。

そして私は、いそいそと能を舞っている天狗様に話し掛けて見ました。「天狗様、こんにちは。○○と申します。天狗様、教えてください。人間は、このままでいいのでしょうか?地球を壊して海や自然を汚しています。どうすれば、大事なことに気づけるのでしょうか?」聞こえているのに天狗様は聞こえないふり。聞こえないふりとばれるくらいの態度で、ちょっとクスっとなってしまいましたが、もう1度めげずに話し掛けて見ると・・・。   

「なんじゃ、わしは忙しいのじゃ」とお返事が。私が、もう一度、「天狗さま、教えてください。どうすれば大事なことに気づけますか?」と聞くと、天狗さまは、ひと呼吸おいて、「自然の摂理に従って生きることじゃ、分かるかのう?」と言ってくださいました。「分かります!でも私もみんなも従っていないかもしれません。」と答えると、天狗さまは、「そうじゃ、それを一人一人が考えると良い、よいな?わしは、忙しいのじゃ、また来なされ。」 と言って、また太鼓の音に合わせて、いそいそと能を舞に戻られました。

自然の摂理に従って生きること。

天狗さまの言葉はシンプルでしたが、私の胸に響きました。頭では理解出来るけれど実際に自分はどうなの?って、すごくすごく考えました。

私が思う自然の摂理とは、自然界の生き物達が生きるために循環することだと思うのです。自然も動物も菌類もそして、もちろん人間も。生きるということのための食物連鎖が、織り成されている世界のこと。

確かに今の私達は、自然の摂理に従っていないのかもしれない。じゃあ、どの時代まで従っていたのか調べてみところ、人間は縄文時代までは、自然の摂理に従って生きていたのだという。

なるほど。。。。でも、今から縄文時代に戻ることは出来ない。だったらどうする?その日から私は、今まで以上に、自然の一部として生きるということについて考え出しました。 

自然の一部として生きる。。。

ちょっと長くなってきたので、続きはまた今度書きますね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。 



  

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