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月下祭

1.

『彼らは、誰かが死に際に思った空想の具現化と言われている』

つまる所、『実存の悩み』こそが、その若きドリームメイトを火文明の荒野に向かわせた理由だった。

超獣世界を破滅せんとする終末魔導具の暴走からおよそ1万年。不死鳥の降臨により新たな戦乱の時代となりつつあるこの時代に、無闇に文明間を移動する事は極めて危険な行為である。
そんな時世の中、生まれ故郷である自然文明を飛び出し、火文明の僻地へと向かう彼の身を焼いていたのは、あてどない焦燥の念であった。

「あぁ。《アリンコン》、そっちを曲がってくれ」

供はこのビークル・ビー1匹のみ。
集団で冒険を行う他のドリームメイト達とは違い、彼は旅の同行者を望まなかった。
その理由の1つは、彼の目的が冒険そのものではない事。
そしてもう1つは、この旅は彼自身の在り方を問い直す為だけのものであったからだ。

いつしか風景は緑から赤と土気色に、吹く風は夜にも関わらず、温く熱を帯びて彼の頬を撫でていた。
首に下げたゴーグルを掛け直すまでもなく、その環境はそこが既に火文明の領域である事を雄弁に語っていた。
《アリンコン》はくいと首を上げると、主人のドリームメイトへ眼前の景色を指し示す。

悲鳴のような軋みと共に、絶え間なく図体を揺らし続ける、蒸気を放つ巨大な鉄塊。
それは1万年ののち、形を変えて残り続けた火文明の要塞、《ヴァリスト》に他ならない。

(知識として知ってはいたが……)

このような荒野に、本当に要塞が存在するとは俄かには信じがたかった。そしてそれが、かつて火文明において隆盛を誇ったというヒューマノイドの、最後の居場所である事も。
彼は数瞬瞑目した後、再び《アリンコン》を進めようとし─────その前方、人型の影を見て停止の指示を出した。
急停止によってバランスを崩した《アリンコン》から投げ出された彼は、地に伏したまま批難がましい目つきでその人影を見た。

「悪かったな」

人影の正体はどうやらヒューマノイドのようだった。若輩とも老齢とも付かぬその容姿から、彼がどのような身分であるか見出すことはできない。
若きドリームメイトは土に塗れた外套を叩いたあと、ポケットの中の手帳とペンの所在、そしてその無事を確認した。
すると、それを興味深そうに眺めるヒューマノイドの視線に気付いた。

「お前、ひょっとすると作家か」

ただそう問われただけであるというのに、彼はひどく恥ずかしく、また寄る辺ない気分になった。
それは彼の持つ『実存の悩み』に漸近する問いであった。
それを誤魔化すようにゴーグルに付いた砂を吹くと、問いに答える。

「……ただの真似事ですよ。─────夢想の産物と呼ばれる私たちの、無聊を慰めるだけの」

どこか所在なさげに言う彼を見て、ヒューマノイドの男は顎に手を当て考えるような仕草を見せる。

「ふぅん。じゃあ、何でこんな所に来たんだ?こっちに住む同族に会いにでも来たのか」

「いや、そういう訳ではないですが……」

胸に浮かぶ、自分自身ですら納得していない曖昧な理由を述べた所で、目の前の男が納得するとも思えなかった彼は、思考を切り替えそれらしい理由を探す事に注力した。

「そう……取材、作品の取材に来たのです。私の故郷にはドラゴンの伝説があって、ドラゴンの子孫であるという話のティラノ・ドレイクの住処へ少し……」

「ドラゴン?」

それまで飄々としていたヒューマノイドの男が表情を変えた。
先程までの笑みは消え、真剣な顔つきで若きドリームメイトに尋ねる──────

「なぁ────もし俺が、本物のドラゴンを見た事がある、と言ったらどうする?」

***

土煙逆巻く月明かりの下、若きドリームメイトの心は揺れていた。
『ドラゴンを見た事がある』、と語る男の話に乗るか。それともここを立ち去るか。
興味はある。
元々当てのない旅であった。火文明に訪れたのも確固たる目的があった訳では無い。ただ、『被造物である所の自分自身』を客観視する為には、一先ず故郷を離れなければならない、という強迫観念にも似た衝動に突き動かされただけなのだ。
それに、『作品の取材』という口実もあながち出鱈目ではない。作家として物語を紡ぐ事、これは彼の真なる望みであり、衝動的に故郷を飛び出したのには、他文明の文化に触れ新たなインスピレーションを得んとする打算めいた気持ちも少なからずあった。
一方で懸念もあった。
『ドラゴン』。それはこの世界において、『伝説の力』の象徴であり、翻ってそれは、伝説上のもの────と言える程度には、遠い過去の存在であるという事の証左でもある。
それを直に見た事がある、と宣うのは、『私は正気ではない』と自ら喧伝しているようなものだ。
このような男の口車に乗った所で、時間を無駄にするだけではないのか。
内なる理性はそう諭す。が、しかし、彼もまた冒険を愛する夢想の使徒。その好奇心に逆らう事はできなかった。

「……信じますよ。そんな突拍子もない嘘、出会ったばかりの僕に吐く必要がない」

そう若きドリームメイトが言うと、最初から答えが分かっていたとばかりに頷くヒューマノイドの男。
男は踵を返すと、彼に向けて親指を立てて催促する。

「来いよ。立ち話もなんだ、俺の部屋に連れて行ってやる」

***

男に招かれたその一室は、要塞の中にあった。

「どうもはっきりとは覚えてないんだが、気が付いた時にはこの近くに転がってたらしくてな。その辺にいた同胞達に拾ってもらったんだよ。だから、ここでは俺は居候って訳だ」

恥ずかしげもなくそう宣う彼の後ろ姿を眺めながら、若きドリームメイトは内心付いてきた事を後悔しかけていた。
要塞内の狭い通路では、2人が横並びで歩行する事は難しい。反対側から歩いてくるヒューマノイド達に白い目を向けられながら、彼は男の背中を懸命に追った。

「ここだ」

男が立ち止まった先にあったのは、いかにも重量がありそうな鉄製の扉。明らかに一般的な居住スペースにあるような代物ではない。

「というかここ……どう見ても、倉庫じゃないですか?」

「まぁ、そう呼ばれる事もあるな」

そうとしか呼ばないんだよ。
という言葉を飲み込みつつ、2人がかりで重い扉を引くと、部屋の中には機械のパーツのようなものが散乱していた。
その中の1つを拾い上げ、男は尋ねる。

「なぁ。これ、何か分かるか?」

聞かれた若きドリームメイトは素直に答えた。

「すみません。出身地柄、機械には疎いので……」

「まぁ、そうだろうなぁ。"どういうものか"はともかく、"何なのか"は俺にも分かんねぇもん」

じゃあ聞くなよ。
と言いたげな彼の顔を初めから予期していたのか、男は言葉を続ける。

「そういう顔されるのは分かってるさ。だが、一応みんなに聞いて回ってるものなんだよ。
何しろこれが、"この時代で"目が覚めた時、最初に俺の傍らにあったものだからさ」

機械に付いた複数の腕を上げ下げしつつ、しげしげと眺める男の姿を横目に、彼は男の奇妙な言い回しに薄らとした疑問と、そして言い知れぬ不気味さを覚えていた。

「あ、の……」

問おうとしたが、渇く喉から上手く言葉が出ない。

「"この時代"……とは……?貴方は一体……」

男の手がピタリと動きを止めた。
その瞬間、若きドリームメイトはぞっとするような寒気に襲われた。
それを聞いてしまったら、もはや後戻りはできない。
どうしてか、彼には不思議な直感があった。
男はゆっくりと口を開く。

「ドラゴンを見た、なんて与太話を信じる奴なら、これも信じて貰わないと困るんだが……」

そう言葉を切った後、男は挑発的に彼の目を真っ直ぐ射抜いた。

「"俺はこの時代の人間じゃない"」

***

ヒューマノイドの男は滔々と語り始める。

「目が覚めた時には驚いたね、世界が様変わりしてやがる。元の世界でお前みたいな奴は見た事がないし、ヒューマノイドもかろうじて生き残ってたが、いまやティラノ・ドレイク達の協力なしでは生きていけない程に弱ってる。
これが1万年の時の流れか、って思ったよ。……残念ながら、変わらないものもあるようだが」

「では、本物のドラゴンを見たというのも……」

「その通り。"俺の時代"の話さ。
信じられないだろうが、火文明には機械を身にまとって武装するドラゴンが実在していた。
と言っても、そいつらは別に俺たちの戦線に現れた訳ではないから、結局のところ俺たちにとっても伝聞に近い存在だったがな」

目の前の男は、1万年前の過去からやってきた存在だという。
一人の身では到底受け止め切れない事実を提示された彼は、追いつかない思考を抱えながらも何とか平静を取り繕っていた。

「だがまぁ……だからこそ、誰もが”自分だけの龍"を欲しがったんだ。戦乱が続けば、自らの一手で戦況を変える事ができる"伝説の力"に頼りたくもなる。"そういう時代"だった」

彼には、男が自らの過去を歴史として懐かしんでいるように見えた。
同時に、戦乱が燻り続ける今の世界を揶揄しているようにも思えた。
どちらの見方が正しいのか、混乱する頭では分からないままだ。彼は暫く判断を諦め、男の言葉に耳を傾ける事にのみ注力する事にした。
男は語る。

「─────本題だ。話してやるよ。俺の見た"ドラゴン"と、その顛末を」

2.

『滅びの定めを変えるために、世界は龍を呼び続ける。』

始まりの大爆発によって文明間対立が激化し、絶え間ない闘争が繰り広げられる動乱の時代。
その若きヒューマノイドは、自然文明の聖地、フィオナの森を目指していた。
目的はただ一つ。
『竜舞教団との接触』。
闘争を疎う火文明と自然文明の若者が文明の垣根を越えて結成した組織、『バーニング・ビースト』の斥候であった彼は、ドラゴンを呼び出す力を持つとされる新興の宗教団体・『竜舞教団』の教主カチュアに接触し、バーニング・ビーストがこれから行おうとしている『作戦』への協力を取り付ける事を厳命されていた。
『我々の目的は重なる所にある。きっと協力の申し出を受け入れてくれるだろう』
そのような激励と共に送り出された彼は、その場で言葉を返すような事はしなかったが─────

「そんなに上手くいくものかね、これは」

決して楽観的な見方をしていなかった。
交渉の成否について最初から懐疑的ではあったが、自然文明に向かう道中、『竜舞教団』の詳しい話を収集する内にその疑念は大きくなっていった。
教主カチュア─────彼女はどうも、宗教家然とした人を惑わすカリスマではなく、ドラゴンを使役し文明間の戦役に干渉せんとする活動家でもない。
(ごく普通の少女が、生まれ持った少し特異な力によって龍の信奉者達に教主として祭り上げられているだけ─────)
彼は教団の実態をそう捉えた。
であるとするなら─────『ドラゴンを復活させ、戦いに干渉する』という目的、言い換えるならば党派性ありきのバーニング・ビーストとは反目する可能性が高い。

「それに、丸め込めたとしても、そんなの自分たちの目的の為に騙してるようなもんだもんなぁ」

うーむ参った、とぼやきながら、彼はスノーフェアリー達が住まう村へと足を踏み入れた。

***

「─────という訳で──────我々に協力してもらえないかと──────」

我ながら心の込もっていない言葉だな、と自嘲しながら形式めいた同盟の提案を行う彼を遮る勢いで、 名目上の交渉相手として高座に座る教主カチュアが身を乗り出して答えた。

「うーん?協力はしてあげたいけど、力になれるか分かんないなー」

「ちょっとカチュア、お客さんの前なんだからそんなはしたない事しちゃダメでしょう?」

窘めるように言うのは、カチュアの傍らに座る水色髪の妖精。
教主であるカチュアの事を親しげに名前で呼ぶその姿から、彼女たちが宗教指導者と信者としてだけではない、より深い関係である事が一目で分かった。

「もう!マルルはいつも小言ばっかり!……じゃなかった、実は力がまだ制御できてないんだよね。
だって私、"ドラゴンさんを起こせるのはちょっとの間だけ"だもん!」

微笑ましいやり取りから急転直下で発せられた核心に、若きヒューマノイドは体を強ばらせた。
"ドラゴンを起こせる?"彼女は今そう言ったか?
正直な所、『ドラゴンを呼び出す事ができる』という肩書きすら怪しく思っていたが、もしかすると、地の深くに眠る三龍の封印を解く力を持っているとでも言うのか。
それはバーニング・ビーストの目的そのものに他ならない。
血相を変えてそう尋ねる彼に対し、カチュアは何をそんなに焦るのかと言わんばかりの呆け顔で答える。

「んー?いや、違うよ~?起こせるのは私の心の中に居るドラゴンさん!
お願い!起きてドラゴンさん!って祈りながら舞うと現れてくれるんだ~
ちょっと外でやってみるね~」

そう言って軒先に出たカチュアは、神楽のような舞を踊り始めた。
すると、それまで青空しかなかった空間に亀裂が走り、黄金の鱗を持つドラゴンの姿がその裂け目から顔を覗かせるのを見た彼は、思わず背筋が凍りついた。
これは──────アーマード・ドラゴンでも、ましてや伝説の三龍の姿でもない!
引きつった彼の顔を一瞥した黄金の龍は、のっそりと体を起こすと、徐々に体が透けていき、最後には何もなかったかのように消えてしまった。

「ありゃ、やっぱりすぐ消えちゃった~」

今度は彼の方が呆け顔になる番だった。
どうやら三龍の封印を解く力を持っている訳ではない事は分かった 。
だが、だとしてもだ。彼女の行うそれは、下手をすれば三龍よりも危険な力である。
『存在しない龍ですら、彼女の幻想から呼び出す事ができる』
一度寒気の引いた背筋に再び冷たいものが走る。
この力を持ってすれば、世界すらも変え得る───────

「カチュア様の凄さすら知らない使者を寄越してくるなんて、バーニング・ビーストは教育がなってないわね」

マルルの向かい側に座る白髪の妖精が毒づくが、戦慄に身を震わせる彼の耳には届かなかった。

「こらっ!
あははー、ごめんなさい使者さん
この子はチャミリアちゃんって言って、私の一番弟子なの!ちょっと毒舌さんで」

「いえ、大丈夫です……では、私はこれにて……
提案の回答は、私がこの村に滞在している間に頂ければ」

彼は一刻も早くこの場を去って一人になりたかった。
あまりに想定外の事が起こってしまった。もはや協力の取り付け如何の話に収まらない。彼に本来課せられた責務から大きく外れた責任を背負い込まなければならないかもしれない。

密かに嘆息しながら部屋を後にする彼の背後を、じっと見つめていた妖精が居た事に、彼は最後まで気付かなかった。

***

「使者の方、先程はどうも」

一人で居られる時間は案外短かった。
コツン、コツンと地面を突く杖の音に気付き、振り返るとそこには、交渉の場でカチュアを窘めていた妖精の姿があった。

「マルル……さん?」

「名前、覚えてくださったんですね」

嬉しいです、と袖で笑んだ口元を上品に隠した彼女は、お転婆そうな教主カチュアとは正反対の性格の少女に思えた。
しかし、その袖を下ろした時には、浮かべた笑みは消え、雪のように端正で儚く、あるいは氷のように冷ややかな面持ちを若きヒューマノイドに向けていた。

「単刀直入にお訊きします。貴方はもう分かってるんでしょう?カチュアの力の事……」

やはりその話か。
あらかじめ予想していた彼は、用意していた回答を素直に出す事にした。

「はっきり言って……危険でしょうね。今はまだ民間信仰から派生した新興教団の教主、それで済む。
けれど、この力の存在が更に多くのものに広がれば、或いは、彼女が呼び出した幻影の龍をこの世に定着させる事ができるようになれば、彼女は想像を絶する力を手にする。そして、誰からも狙われるようになる……」

「なら、その力を今知った貴方もまた、彼女の命を狙うのですか?」

マルルが続けた言葉に彼は驚いた。が、しかし、ここで動揺を見せてはいけないと直感的に悟った彼は、顔色を変えないことに注力した。

「しませんよ。
同盟相手として交渉しにきた以上、そんな不義理な事はできません」

「ふふ、義理堅いお言葉です。だとすれば、カチュアの力を利用する側に回ると?」

「バーニング・ビーストとしてどうかは分かりませんが、私個人には興味のない事です。
白状すれば、そもそもあなた方と私たちのスタンスは合致しないだろうという前提の元ここに来たのですから。
私たちは龍の力によって混迷を極める今の世界を変えようとした。
だが私見では、教主カチュア殿はそういう方ではなさそうだ。
それは貴方が一番知っているのではないですか?」

「ズルいお方。そう言われたら弱いですね。それに、あの子はそんな大層な望みを持たないからこそ、あの力を使役できているのでしょう」

マルルの口ぶりはどこか確信めいたものを感じさせた。彼がそこに疑問を呈する前に、マルルは言葉を繋ぐ。

「カチュアの力は、あくまで彼女の空想を触媒とした力。真なる力の根源は、この母なるフィオナの最奥地、"仙界"。そこに由来しているはずです」

「どういう事です?それに、仙界? 」

そう問われてもマルルは表情一つ変えない。その能面のような端正さと顔を突き合わせていると、こちらまで凍てついてしまうような気分になる。

「以前、彼女と一緒に仙界の付近に迷い込んだ事があるんです。
──────そこで聞いたんです、何者かの声を。
『小さき者達よ。貴殿らに力を与える。遥かなる幻想には龍を喚ぶ力を。大いなる献身には龍すらも護る力を。それを合わせれば、何者をも打ち払える力となる』
結局、それが誰かは分からずじまいです。でも、カチュアがドラゴン様を呼べるようになったのはそれからです。
教団内では『龍神様の神託』なんて言ってますけど」

彼には俄に信じ難い出来事のように思えたが、直前にそれより驚くべき事象に遭遇していたが為に、素直に頷いておく事にした。

「今のは、教団の中でも限られた人しか知らない話です。
教主の儀式、門外不出の教義。ふふ、今日だけで2つも機密を知っちゃいましたね」

再び袖で口元を隠すその上品な仕草が、今度は悪魔がほくそ笑む仕草に見えた。
彼は観念したように肩を竦める。

「駆け引きがお上手だ。大丈夫です、バーニング・ビーストの者たちには上手い事言っておきます」

「是非ともそうしてくださいね。あ、それと……」

ふと、軽いお使いを思い出した、というような雰囲気を纏いながら、マルルは若きヒューマノイドにこう付け加えた。

「ここにいる間だけでいいです。"私に何かあったら"カチュアを守ってくださいね?」

3.

『少女の幻想が、大いなる龍を降臨させる。』

胸騒ぎがした。
若きヒューマノイドが寝床を這い出て、世界を遍く照らす2つの月を仰ぎ見た時、既に月は欠ける所のない完全な姿になっていた。
満月。それは最も霊力を増幅させる夜。そして、人々の狂気を呼び起こす夜。
彼が胸騒ぎによって目覚めたのも、或いは偶然ではなかった。

彼が教団の屋外祭祀場に辿り着いた時、そこは既に青白く光る機械の兵団に囲まれた後だった。
中央の祭壇でドラゴンを呼び出す為に舞い続けているカチュアは、見て取れる範囲でも疲労が溜まっている事が分かる。
応戦、というにはあまりに一方的な防戦であった。
カチュアとマルルが互いに背を合わせる中、機械の兵たちはジリジリと距離を詰め、二人の円の範囲を狭めていく。

「起きて!ドラゴンさんっ!!」

カチュアの絶叫が夜空に響く。
呼び出されたドラゴンは機械達をまとめてジャンクにしていくが、その刹那、時間切れであると告げるように消えてしまう。
彼女たちの孤軍奮闘を遠くから見る事しかできない彼は、カチュアのドラゴンを呼び出せる時間が徐々に短くなっている事に気づいた。
『カチュアは仙界のエネルギーを彼女の空想を介して行使している』
マルルの述べた仮説が頭を過ぎる。
これが正しいとすれば、カチュアが疲弊し精神力が削がれれば削がれるほど、彼女のドラゴンを呼び出す力は弱まる事になる。
しかし、機械仕掛けの敵は今この時も無尽蔵に後続を供給し続けている。1回1回の召喚に精魂を込めるカチュアとは対照的な、だからこそ最悪の相性と言ってよかった。
ジリ貧だ。
ヒューマノイドの男は天を仰ぎたくなった。
疑問はいくらでもある。
奴らは誰なのか?なぜ竜舞教団を狙っているのか?
だがそれらは全て後回しにするしかない。
今できる事をやるしかないんだ──────

***

マルルは既に覚悟を決めていた。
前には視界を覆い尽くさんばかりの機械兵。背後には、死力を尽くして自分や信者たちを守る親友。
応戦したくとも、この杖と体躯では自らの身を守るのが精々。自らの弱さのせいで代え難い友を失う、その無力さを否定する手段は一つしか残されていなかった。

「カチュア……」

いつでも快活で、どこまでも空想に満ちていた優しき少女の顔から、いまや一端の余裕も見られない。
もはや一刻の猶予もない。
彼女の体が動いた時、いつかの仙界で、マルルだけに聴こえた"声の続き"がもう一度リフレインした。
『遥かなる幻想には龍を喚ぶ力を、大いなる献身には龍すらも護る力を。それを合わせれば、何者をも打ち払える力となる。
───────代償を受け入れる事が出来れば』

「カチュア─────よく聞いて」

最期の舞を、貴方と。

***

望月夜、二人の妖精がステージの上で舞い踊る。
ワン、ツー。ワン、ツー。
静寂を恐れるが如く。痛みを忘れたかのように。
月の光を浴びて舞い歌う。
今宵だけ開かれる宴に、集う魂の呼び声。
湖面に映し出された星のように、次元の狭間から次々と現れる龍。
彼らが此岸に留まるには──────少女の犠牲が必要だった。

「この世の果てで、また会いましょう。だから、今は笑って。───────カチュア」

***

カチュアは、その腕に一人の少女の亡骸を抱きしめている事に気付いた。
それが誰か、彼女は既に気付いていた。気付いた上で、気付かないふりをしたかった。

「マ……ルル……」

彼女の慟哭を優しくかき消すかのように、龍達の咆哮が冒涜的な光の群れを切り裂いた。

***

若きヒューマノイドが教団関係者を避難させ終え祭祀場に戻った時、そこに見たのは機械兵のスクラップの山、そして倒れたカチュアの姿だった。

「カチュア様!」

共に避難誘導を行っていたチャミリアがカチュアの元へと駆け寄る。

「チャミリア、私は大丈夫……」

カチュアから声を掛けられてほっとしたようなチャミリアは、しかし、そこにマルルの姿がない事に気付き、再び不安そうな顔つきに戻った。

「カチュア様……マルルさんは……?」

カチュアはその問いに対して一瞬だけ目を伏せた後、慈愛に満ちた笑みをチャミリアに向けた。

「マルルは、……遠い所に行っちゃったんだ。
でも、悲しんじゃダメだよ!きっとまた会えるから。
むしろまた会ったら怒ってやらなきゃ!勝手にどこか行くなって!」

そう笑顔を見せるカチュアを見て、若きヒューマノイドは今更ながら『神輿にされただけのごく普通の少女』という当初の見立てを恥じた。
気丈に指導者としての役目を果たす彼女の姿に、そのような形容は不相応甚だしい、と彼は素直に思った。

その時だった。
殲滅されたと思われた機械兵団の中から、一体だけ様子の異なる機械兵が、カチュアを目掛けて突撃してきたのだ。
そして、マルルへの祈りを捧げる二人の少女はそれに気付かなかった。
つまりその瞬間、命運は彼の手に託された────

「……マルルさんとの約束、守らなきゃな」

若きヒューマノイドは、自らの体でその機械兵を受け止めた。
機械兵は混乱したようにその腕を振り回すが、彼は決して受け止めた腕を離さない。

「時間転送マデ残リ5秒…4…3…2… 」

機械兵からあらかじめセットされていたと思われる時限式装置のタイマー音が鳴り出している。それでも彼は腕を緩めない。

「自爆か?いいぜ、付き合ってやるよ」

「…1…0」

その瞬間、破裂音と共に空間が裂けた。

「……あれ、使者さん……?」

数瞬して空間の裂け目が直った時、彼の姿は何処にもなかった。

4.

『生命は流転する。新たな記憶を生み出す為に。』

「つまり、こいつは時間旅行ができるマシンだったって訳か」
《アリンコン》の背の上。若きドリームメイトは、物言わぬ機械兵を眺めてそう呟いた。

ヒューマノイドの男と別れたのちの事。
旅の餞別代わりに男から受け取ったこの機械や、竜舞教団を襲った機械兵は、恐らくグレートメカオーであったのだろう。
と、男も目星は付けていたようだが、送り込まれた量産型は兎も角、時間遡行のできるロボットの存在など秘密主義の彼らが明かす訳もない。
結果、それ以上の詮索は不可能となり、"詳細不明の壊れた機械"として彼の部屋の肥やしになっていた、というのが真相であった。

「だとしても、何だって1万年前に兵を送る必要があるんだ?」

機械の判断基準など端から理解できないが、それにしても不可解な行動である。
それに、男の話にはまだ気になる事があった。

「"少女の幻想から生まれたドラゴン"……」

彼が最も興味を持ったのはそこだった。
彼の抱くドラゴンのイメージ、それは他者に拠る所のない、絶対にして孤高の存在。
それはそのまま、ドリームメイトは『何者かによって造られた幻想』である、という自らの出自への自認、つまり彼のコンプレックスの裏返しでもある。
だが、男の話におけるドラゴン像は明らかにそれに反していた。
まるで『ドラゴンもまた、何者かから影響を受けなければ、この世に現れることができないもの』であるかのような……

***

答えは、間もなく明らかになった。
グレートメカオーが軍事行動を始めたのだ。
手始めにドリームメイトの住まう中央大陸への侵攻を開始し、大陸の住民達の反抗によってそれを断念した彼らは、次の標的をティラノ・ドレイク達の聖地《水晶塔ヴァルドス》に定めた。
ここに至り、種族間対立は激化の一途を辿る事になる。
機械兵団の物量の前に為す術なく敗北したティラノ・ドレイクは、グランド・デビルと手を結び、閉ざされていた煉獄を開く事を選択した。
開かれた煉獄より現れたのは、"旧世界には存在しなかったはずの"、黄金の鎧や液体の体躯を持つ龍だった。
その報を聞いた若きドリームメイトは、何故メカオーが過去に兵を送ったのか、その理由を理解した。
"彼らはこの事態を知っていた。"
彼らの生み出した、時空を超える機械工兵……《タイムチェンジャー》は─────戦況を有利にする様、"煉獄に『存在しない龍の記憶』を刷り込んだ少女"を始末する為に使用された。
しかし《タイムチェンジャー》はその任務に失敗し、彼らは時間遡行の手段を失った。そして"予定通り"、煉獄より龍は目覚めたのだ。
そこまで思考を巡らせた後─────否、そんな単純な図式ではない、と彼は思い直した。
そもそも、ティラノ・ドレイク達に煉獄を開かせたのはメカオーの存在だけに拠らない。彼の出自であるドリームメイト達もまたそれに関与している。
彼らが独断で広げたユニバースの穴から、不死鳥が更に押し寄せる様になった。それに対抗する為にも、ティラノ・ドレイクとグランド・デビルは旧世界の盟主である龍を甦らせる判断に踏み切ったのだ。
或いはそれは、"誰"が得をした出来事であったか?
旅の最中、同胞の不可解な行動に疑問を抱いていた彼は、その結論を出せずにいた。
だが、もしかすると───────
マルルが語っていた、仙界からの声。
カチュアに授けられた、存在しない龍を呼び出す力。
そんなカチュアの始末に失敗したグレートメカオ ー。
進退窮まり、龍を蘇らせる事を決めたティラノ・ドレイクとグランド・デビル。
ドリームメイトが行った、一見不可解な行動の意味。
それら全ては───────
─────自らをこの世に再臨せんとする、"龍の意思"に動かされたものであったのか?

***

『────友を愛し、また龍を愛した少女は、その数百年後、再びこの世界に現れました。
"雪渓"とは谷に残るなごり雪の事。一度この世から消えたように見えても、それは見せかけだけ。
彼女の見せた献身の記憶がある限り、彼女は永遠に消えない存在になるのです─────』

「という訳で、今日のお話は終わり」

《アリンコン》から飛び降り、ありがとー長老さん、と叫ぶ子供たちの声を聴きながら、年老いたドリームメイトはゆりかごの乗った櫓を眺めていた。
あれから幾星霜。
時代は移ろい、世界はその姿を変え、幾度焼かれたフィオナの森もまた、何事もなかったかのようにその葉の緑を誇らしく揺らしている。
そんな森の心臓部。
彼はある目論見と共に、その計画を実行しようとしていた。

彼がコンプレックスとして抱き続けていた、『自分は何者かの想像の産物、被造物に過ぎないのてはないか』というアイデンティティの欠如は、ドラゴンという強大な存在ですらそうした性質を帯びている、という事実を認識した事で、ある程度の解消を見ていた。
そして、彼はこうも考えるようになった。
ドラゴンが我らを動かし、自分自身を顕現させようと働きかけるのなら、我らが意図的にドラゴンを作り上げる事も可能なのではないか。
その時、力の主従は逆転する。
龍に傅く被造物から、被造物として龍を降臨させる創造者へ。
そして、彼は遂にその手筈を整えた。

夜深く。相も変わらず2つの月が見守る中、その祭は始まった。
《フィオナ・フェス》。
古くから信仰を集めていた『フィオナの森』を触媒とし、龍の姿として顕現させる事を目的とした月下祭。
強大な夢想の力を持つメイ様のゆりかごを中心に、ドリームメイト達はステップを踏み始める。

舞い、踊る。演奏に合わせてリズムを刻み続ける。
それはプリミティブな信仰の方法。
「朝までも!」
バンジョーがそう叫ぶと、一層熱狂は大きくなる。
櫓の上で眠り続けるメイ様の元に、フィオナの森、或いはその近隣、仙界から漏れ出たエネルギーが集まっていく。

それは一瞬の事だった。
櫓を襲った光の波が収束すると、そこにはゆりかごと、その傍に立つ影があった。
容貌は未だ見えない。しかし、彼は既に確信していた。
それが、彼の待ち望み続けた存在である事を。

「ようこそ。"我ら"の夢想から生まれた龍、《フィオナ・フォレスト》」

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