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未知と既知

思えば不思議な1年だった。

今まで「DUEL MASTERS PLAY'S」を遊んできた期間、それは私にとって”未知”に溢れた時間だった。
TCGにおいて《ボルバルザーク》が活躍していた頃にはデュエルマスターズというタイトルすら知らなかったし、《アポロヌス》や《武者》が強いデュエマなど漫画の中でしか見た事がない。
私が「カードだけ知っていて、環境など考えたことのない」時代のデュエルマスターズをひたすら歩んできたのが今までのデュエプレであった。
リリース当初には「あの頃のデュエマ」と散々喧伝されていたゲームではあるが、正直な事を言えば、私は”あの頃”という宣伝文句自体には全く乗れなかった。当然だ。そもそも知らない時代の話なのだから。
だからこそワクワクした。知らない時代の未知のデュエマがそこに待っているのだ……

だが、実際には誰にとっても「未知のデュエマ」であったらしい。TCGで活躍したカードがその通りに活躍した事の方が少ない、悪く言えば「魔改造とオリカが飛び交う世界」に、「これは自分が望んだ”あの頃のデュエマ”ではない」と見切りを付けた人も居るだろう。
その点私の立場はそうした問題とは無縁だった。
そもそも私が求めていたのは”未知”のゲームだ。それが当時の環境を忠実にトレースしていようとしていまいと、知らない体験がそこにあるのなら瑣末な話だ。
そうしたスタンスで今まで遊んできた。

しかし、時間というのは無情に過ぎ去る。
未知の時間は終わり、いつしか世界は既知へと移り変わっていく。

私が競技としてのデュエルマスターズを意識し始めたのはE3だ。最初に組んだ環境デッキは【デアリシューゲイザー】。当時の環境トップだった。通っていたショップ大会では、同じく環境に存在していた【墓地ソース】と毎週の様に戦いを繰り広げていた。

……という事を、今年の5月半ば、DMPP-20の発売によって嫌が応にも思い出す羽目になった。何しろ、【墓地ソース】の主役である《5000GT》と、その名の通り【デアリシューゲイザー】の切り札であった《シューゲイザー》、その両方がこのパックに収録されていたからだ。
そして誂えたかのように、当時のリストを再現させる事を目的とした収録内容。

私はほぼ当時のリストのままの【シューゲイザー】でマスターに到達した。
それがノスタルジーによるものだったのかは、正直な所自分でもよく分からない。
《解体ジェニー》がTCGよりも弱くなっている時点で元のリストを再現する意味はないな、と思いながらランクマッチに潜っていた事を覚えている。

その後もTCGで使用していた様な【白単サザン】や【緑単サソリス】をランクマッチで使う度に、自分の中で疑念が頭をもたげてくる。
「結局は、自分にとって既知である所の”あの頃のデュエマ”を求めていたのではないか?」
このゲームを辞めてしまった人たちの中には、自分だけの思い出の再現を求めて、それが叶わなかった人たちも居るのだろう。
”世代”とも言える時代に差し掛かった事で、
「自分が”そうならなかった”のは、ただ幸運だっただけなのか?」
という迷いが生じるようになった。

「懐かしの思い出」を求める者に既知の提供を。 
「新たな体験」を求める者に未知の提供を。
私にとって「当事者」とも言える世代をテーマとした今年のデュエプレは、だからこそ今までよりこの二項対立が強く印象に残った。

デュエプレももう4周年。TCGの再現、という側面の他に、「デュエプレの描いてきた独自の歴史」に対する施策も多くなってきた。
キャラクターは勿論、リバイバル枠や《聖霊竜王アガピトス》の登場などにもそれは表れている。
デュエルマスターズの歴史。
デュエルマスターズプレイスの歴史。
時に重なり、時に相反するこの2つの歴史を、どのように繋げ、紡いでいくのか。
未知と既知を行き来するこのゲームの行く末を、来年もまた見届けていきたい。

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