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エッセイ ポジティブ・ナイン

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映画、読書、執筆、日常のあれこれを綴っていきます。
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2024年3月の記事一覧

パワハラで人生が変わった話

ちょっと憂鬱な話。でも自分にも覚えがあるという人もいるかもしれない。私は若い頃かなり強烈なパワハラで会社を辞めたことがある。まず最初にその上司とは最初良好な関係で一緒に飲みに行ったりしていたこともあるくらいだった。ところが私の一言で一変した。「すいません。これ後にしてもらえないでしょうか?」と仕事を頼んだことから始まった。それを聞いたその上司は「何言ってんだ、お前、そんなこと言える立場なのか?!」とご立腹した。それ以後、大きな声で「おい!胃薬もってこい」(自分の目の前にあるの

本屋で本を5冊も買った!

昨日は午前中を使って3万文字執筆した。やろうと思えばできるのだ。自己最高記録。BL小説だけど書いていて楽しかった。主人公は二人。太陽と月の高校生たち。一人が大地という名前の太陽のような子、もう一人は蓮という名の月のような子。対比させてそれぞれを語らせてみた。二人称。おいおい、大変じゃないなんて大丈夫。漫画開いて章によって交互に読んでいくみたいなスタイル。これ無職転生読んだ時思いついた。ああ、この手があったのね。漫画好き。寝る前に昨日はビスクドールを読んだ。ギャル語が勉強できる

人間だものね

そういえばアメリカにSedonaという場所がある。そこでは不思議なことが起こる。入るとまずハイになる。これは私だけじゃない。行ったことのある人ならわかる話。人によっては栄養ドリンクを飲んだみたいに元気になるらしい。モーテルに泊まった当日、様々な夢をみる。後悔、悲しみそんな感情の夢。起きた時に頭が痛くなる。山に登ると解消する。清々しい爽快感がやってくる。通りがかりのエルフのようなお婆さん。仙人みたいな集団。占い師。なんとも摩訶不思議な街なのだ。復讐とか恨みとか悲しみに暮れている

記事は自由に書いて欲しい

「ガチ勢は承認欲求の塊だ」そんな言葉が目に入ってきたのは、いつだったか。わりと最近のことだったと思う。確かにそうかもしれないけれど、どこか罪悪感を持たねばらなくなるようなその指摘の仕方に少しなりとも腹立ったことは確かだ。そもそも承認欲求があってもいいんじゃないかと思ってる。誰かに認められたいというのは誰だってあるでしょう。私だってあった。ここはあえて過去形にする。昨日書いた記事のことは変わってない。もう正直自分を信じることに疲れてしまった。数年しか執筆していないとか、一作品し

心境の変化

明日には気が変わるかもしれないけど作家になろうとすることをやめようと思う。ずっと小説家になりたくて作品を書いていたけど、なぜこうも苦しいのが続くのかとかなぜこうも砂浜の案山子のような心境なのかと考えた時、全て欲のせいだと思ったからだ。有名になりたい、ちやほやされたい、沢山のその他大勢の赤の他人に自分の作品を読んで欲しい。そんな欲が健康な精神状態の害になっている。もちろん欲には最低限の睡眠欲とか食欲とかあるけどそれは除外して。なら執筆をやめるのかというとそうじゃない。それはそれ

コメントはほんのり優しさをこめてね

装丁カフェなるものがある。知ったのは最近。小説の表紙も作れるので楽しい。無料です。試しに作ってみた。読んだ本を紹介するときに下記のような表を見せると一目で、わかりやすいかもしれない。あ、タイトル間違えてるw こう見ると笑いもギャグももっとあった方がいいかなとか思ったりして。この辺は変更できる。自分の作品の分析にもいいかもね。5つの要素でいったら何があるかなって。 昨日の夜は少し発作みたいになってしまい薬をかなり飲んで眠った。もう涙は出ない。一度湧いてきた感情がおさまった感

魂の存在があるのだとしたら

昨日、夢を見て以来涙が止まらなくなってしまった。ずっと亡くなった先輩のことが頭から離れないのだ。なぜだろう。魂があるのだとしたら、もしかしたらすぐそばに先輩がいるのかもしれない。居ても立ってもいられず先輩のお墓参りに行こうと思った。でも場所がわからない。当然だ。音信不通な仲になって数十年経つのだ。お葬式にも行けなかった。当時のスタッフが私に連絡をしたくて居場所を探してくれたらしいが私はもう世捨て人になった気分でいたので雲隠れしていた。かなりみんな呆れたらしい。夢の中で、先輩は

懐かしい人たちへ

もう時効だからいいと思い、少しばかり本当の話をします。私は二十代の頃SEDICという制作会社にいました。今はセディックインターナショナルになっています。その時制作デスクでした。当時竹中直人の無能の人を作っていました。いくつかの比較的有名になった作品もあります。制作デスクの仕事は何かというと、まず経費担当、制作補助、プロデューサーの秘書業務です。目がまわるほど忙しくてお昼ご飯を抜くこともありました。今日の朝、その時にお世話になった今もご健在のプロデューサーNさんとすでに亡くなっ

やってもうた⋯⋯

やってもうた。カクヨムのコンテスト応募したつもりがしてなかった。タグはつけていたのだが肝心のコンテスト応募にチェックを入れ忘れた。なんと今日発表の日、気づいた。これ本当にたまによくやるんだけどくそボケですな。二ヶ月くらい待っていた私の時間はどうしてくれよう。あまりにもショックで撤退しようかと思っている。後にも先にも純文学系か文藝作品を求められる機会なんてそうそうないわけで。どうせ過去作だから新しい作品を書くしかこの低空飛行状態を逃れる方法はない。ここ最近、鬱状態に突入している

生と死の狭間で生きる

今日スキしてくれた人の記事をサーフィンした。その中で気になったものがあって読んでいくと太宰治みたいな文章を書く人がいた。すごいなと思いつつフォローはできなかった。感覚的にはわかるし考え方も似てる。でも怖くなった。生と死を行ったり来たりしている日々を送っている人は少なくない。実のところ自分も常に死を意識している。似ているから怖いのか、その人の文章のタッチが怖いのかと言ったら両方だろう。この調子の悪い私に最後まで読ませるんだから、それを小説賞に応募すればいいのにとか勝手に思った。

雪の中、思うこと

今日は朝から調子がいい。コーヒー豆を挽いてドリップした。淹れたてのそれはそてもいい香りがして朝の眠気と暗澹な気分が吹き飛ぶ。今朝XのDMでNさんからメッセージが届き、2023年に小説「ハンチバック」で文學界新人賞と芥川賞を受賞した小説家の市川沙央さんのインタビュー記事を教えてもらった。受賞前、毎朝起きて暗い気分になっていたという氏の苦労した時期の話に私は共感した。投稿サイトで活動していたということで20年もの長い間続けていて何の成果もなく過ぎたらしい。私も同じだと思った。投稿

どんなに辛くとも希望は持ちたいな

昨日の夜は夜中に目が覚めてから、なかなか寝付けなくてしばらくギンギンと目が空いたまま布団に入っていた。すると暗闇の中、走馬灯のように過去のしがらみが映っては消え消えては映りしていた。大体が「たられば」だ。あの時、ああしておけば私はもっと今マシな生活をしていたに違いない。あの時もっと頑張っておけばもっと華々しい生活をしていたに違いない。そんなことばかり妄想して辛くなった。そんなこと言ってももう遅いのだ。わかってる。ただ、気分がやられちゃってる時や弱っている時、考えがちだ。今の事

村上春樹の話は面白かった件について

新しいiMacの漢字変換がすごくいいので、ツールを買う必要がないかなと思っています。今までのはなんだったのか。 しかしまだ相変わらずキーボードには慣れず。ちょっとだけ苦戦。 変換は恐ろしく早く漢字が出てくるので慌てる。 YouTubeで石田衣良が村上春樹の新刊の話をしていたのを聞いて、ますます小説を必死で書くことに虚しさを覚えている。自己満足ならば、もしかしたらずっと同じ作品を書き続けてもいいのではないかと思う。でも誰かを感動させたい、社会と繋がりを持っていたいと思うならエ

奇声を発するシーンが大好きなんです

ぬおおおおおおお とか ぎええええええええ とか 文章にいれる事はないのですが、実は読むのは大好きだと知った今日この頃。 ドグラマグラにでてくる奇声や笑い声が大好きです。あはあは それで、これいれたいと思っている作品があります。 「私は⋯⋯ ぎりりりりり ぎりりぎりりり と(鉄の棒を)爪でひっかいた。」 ぎゃああああ、助けてえええってのも連呼させる。なんか痛そう、うるさそう、耳にもくる。なんつって。なんか楳図かずおみたいだよね。 自分の作品を改稿していて気付くこともあり、何