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忖度、空気を読む、妥協がもたらす弊害

今日は結果から書きます!自分のためにも。
生殺与奪の権を他人に握らせるな!」By 富岡義勇(鬼滅の刃)
ですよ。

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「忖度、空気を読む」それって妥協なんですよね。
相手に委ねている。振り回されてもいい状態。主体性0の状態です。

安心で安全なようでいて怖い。
瞬間瞬間、自分の意思に目を向けてそれを行動し続けることはとても大変なことです。
選ぶって脳のリソースを使いますからね。
実行には責任が伴う。自分で自分の責任を負う怖さもあります。

他者と関わるときに、なんか釈然としないけれど、異議を唱えるほどでもないので「まあいいか」と流れに乗ってしまうことってありませんか?

そのときなんとなく言葉にならない違和感を覚えていたり、
嫌な感じだったり、ムッとしたりとにかく「心地よさ」とは反対の気持ちが沸き起こることってありますよね。

その場面においては自分の意見がはっきりと言葉になっていなかったり、相手の勢い、場の勢いにそぐわないから発言を控えたりってあるとおもんです。
でもその場から離れても、なんだかモヤモヤしたりグルグル考えたり、自分の気持ちを言葉にできても、もうそれを伝える場面じゃないしと結構モヤモヤ釈然としないことってありますよね。

感情、モヤモヤそれはエネルギーなんですよね。エネルギーって方向性を持っていて動いているものです。
それが滞ってしまうとストレスに感じたりします。
忖度や、空気を読む、諦めるということは自分の中にそうした感情の流れを止めてしまうことになります。
私が勝手に思うことですが、生き物はみんな「自分」として存在していたいものだと思うのです。
何かに従わなければならないと、表情も暗く、生き生きとしなくなる気がします。

妥協も一回こっきりだったら対して影響もありません。
でも何度も何度も繰り返し続けたらどうなるんでしょうか?

自分で自分を裏切り続けるんですよ。
生き物としての自分は生まれ持った自分として存在していたい。自己実現があって、他者とより良くなる世界を作っていきたい。
マズローの欲求ピラミッドだとか、NLPのニューロロジカルレベルなどにもてっぺんのほうに行くと自己を超越した欲求に向かいます。
でもそのためにはまず「自分」としていることです。

自分としてしっかり存在しているからこそ、他者と本当に協力し会える。
Win-Winってどちらかが妥協した状態では成り立たないのです。
1➕1=2ではなく、それ以上の力を発揮するものです。

ちょっと長くなってきたので、私が何故こんなに熱く語っているのか出来事を次回お届けしようと思います。


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