今一緒にいるということはかけがえのないこと
最近人とのご縁について考える機会がありました。
中学生時代の担任の先生が生徒に向かって「みんな縁があって一緒のクラスになったのだから」と諭すようにいうのが大嫌いでした。
私は「誰も望んでないよ、こんなクラス!」と反発していました。
でも大人になって思うのは、今目の前にいてくれている人は決して当たり前ではないということ。
ネットがあるので遠くにいる方とも、普段関わりのない業界の方ともつながることができますよね。
今年だけでもたくさんの出会いがありました。
実際には会ったことがなくても意気投合したり、一緒に何か活動したり。
住んでいる地域が異なっていても全然障害にならない。
だけどふとその交流が途絶えると、今いる日常からその関係性が薄らぐのが早い気もします。
以前KemioさんがAbemaTVで「今の世の中はコンテンツが消費される時代」確かそんなようなことをおっしゃっていたように思います。
自分にFitしたコンテンツも選び放題だし、きっと出会いもそう。
リアルでしか交流ができなかった。コンテンツに希少価値があった。
そんな時代と違った雰囲気を私は感じています。
今日初めての方、久しぶりの方とコミュニケーションが活発でした。
なので改めて感じるのが、今目の前にいてくださる方々は決して
「当たり前」ではないということ。
また今まで密な交流をしていたとしても、ふとしたきっかけで凪のように交流が止まった時下手すると一生会わないかもしれないということ。
デジタルでのやりとりは便利だけど、相手の空気感、共有体験など、温度を感じにくい。
通信が途絶えて、日常にかえると意識してアクセスしにいかないと繋がらなくなるんですよね。
私がコミュニケーション下手だから余計にそう思うのかもしれないです。
ふと「今何しているだろうか?」と思っても考えて連絡しないことも多くあります。
あっという間に時間が過ぎて、一年二年・・・十年って経過するんですよね。
だからこそ意識していくこと、自覚していくことが大切なんじゃないかなって思います。
「私はどんな人といると嬉しいか?」
「私はどんな人と成長していきたいか?」
「どう貢献しあいたいか?」
「目の前の人いる時間は私にとってどんな意味を持つだろうか、相手にとってどんな意味を持つだろうか?」
いつか連絡を取ろうと思うとその「いつか」は来ないかもしれない。
日常には優先するべき作業がたくさんありますから。
問い直すことで痛みを避けるためにくるまっていた殻から抜け出すことができるかもしれませんね。
こうした世の中だからこそ、本当に大切な人たちを大切にしようって思えるのかもしれませんね。
今日コミュニケーションした人たちはとても大切な人たち。
今日連絡できなくても頭に浮かんだ人たちに久しぶりに「元気?」って連絡してみようかなとそう思った1日でした。
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