交通要所の意義(今三国志VS戦国布武)

こんにちは、そら豆です。🌝

いつも有難うございます!!

今回は交通要所の今三国志と戦国布武のゲームの中での役割について比較しながらまとめてみようと思います。

今三国志は都市であり、戦国布武ではお城になりますが、前者は山と河で地域と地域は境界線になって阻まれていること前提で、交通要所となる都市は異なる州を結ぶわずかな限られた道の途中に置かれて、関所の役割を兼ねているのが大きな特徴になります。

そしてその関所都市を巡って連盟(ギルド)同士が取合いのためにギルド戦争をする仕組みになっています。
関所都市を取ると初期地域が低レベル資源地ばかりだったのが、高レベル資源の州へ行けるようになります。

もちろん対人戦争自体になんの旨みもありません。
利益面で見たら、高レベル資源地を取り合うゲームに過ぎないからです。

これに対して戦国布武の交通要所は交通封鎖がその一点を防衛すれば効率よく行える城(都市)になります。そして占領できたり戦場になる場所は城(都市)だけで城と城を結ぶ外野(資源地)での戦闘は仕様上ありません。
また都市=城と実質考えて良さそうです。今三国志の都市が初期城として個人に与えられられてるだけで、今三国志のプレイヤー城の仕様が戦国布武にはありません。

そしてどちらにも共通するのは、(障害物を覗く)占領した道で繋がっていないとその場所まで到達出来ないのです。

今三国志は同じ連盟に300人とか枠作れて、実質戦国布武の同盟と同じ役割をしています。連盟内で連地して行ける範囲を広げていって、洛陽を制圧するゲームなのでしょうね。
戦国布武はこれに対して都市を同盟相手と全部制圧して天下統一するのが目的になっていますが、実質内政を簡略化したお手軽仕様なので天下統一そのもののサイクルが早いところで45分なのです。

また今三国志は連盟同士は友好同盟をただ一つの他の連盟と結ぶことができるようになっています。そうすると600人近いメンバーの土地が繋がって占領効率が良くなって行きます。

こんな仕様なので、連盟戦争の後は合併吸収されて上位連盟同士で洛陽制覇を競い合う流れなのでしょうね。恐らくは1サイクルは2ヶ月くらいなのでしょうか。

これに対して戦国布武はマップサイクルは1時間ととても早く、終わったらロビーに戻り完全に休憩するスタイルになります。
マップに入っている間はテンポが早くかなり忙しいので仕方ないのかもれません。
今三国志はプレイヤー城の位置が特定されないことと、関所都市の封鎖をしておけば戦闘自体が忙しくなりすぎることはなさそうです。
むしろ事前準備の方で勝負がつきやすく、戦闘が始まる頃にはもう勝敗がついていることが多く、その時から慌てても準備しようとしても多勢に無勢になりやすく勝ち目がないと思います。

戦国布武は交通要所さえ精鋭部隊の勝負で落とせれば形成は入れ変わり得ます。

以上になります。


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